2018.8.14 子どもの遊び(4)
今回は家の裏手を流れる小川で遊んだ思い出を辿ってみる。
この小川は裏山の石灰岩の崖から染み出てくるもので、水源は家の裏手から100メートルと直ぐ近いところにあった。川幅は広い所で2メートル弱で、狭い所では50センチほどであった。私の家の裏手はたまり場で、その先には地下のマンホールの入口がのぞいており、いったん大雨などが降ると増水し、落ちればマンホールに呑込まれ数百メートル下った今井川に吐き出されることになり「雨の日は水辺に近づいてはならない」と強く言い聞かされていた。
普段はちょろちょろと流れるせせらぎで。絶好の遊びになっていた。この小川は短い距離なので大きな魚は育たない。主な水生動物はザリガニ、ヤゴ(トンボの子)、メダカ、ドジョウ、タニシなど.手ですくって獲って遊んだものだ。
元々ここら辺は湿地帯で、家の中にいても百足(ムカデ)やゲジゲジなどは毎年決まって出てくるし、風呂場にはよくナメクジがよく現れたのて、塩をかけて溶けていく様を観察したものだ。
水辺に話を戻して夏は水の中に入って水をかけあってびしょびしょになって遊んだ、上流から笹船や折り紙で作った舟を流して楽しんだりもした。夏でも水温が上がらない井戸水と同じだったので、トマトやスイカを冷やす場所でもあった。流れがあるので青果物は網袋に入れ杭を打って抑えたような覚えがある。夏の初めには蛍が空中を乱舞する姿は目に焼き付いている。
このせせらぎが下水に変わてしまったのは崖の上の」広い麦畑を造成して当時としては巨大な市営住宅の二階建てが林立し。そこの下水処理はすべて大きな土管でこの小川に吐き出すようになり、一瞬ですべての水生生物を死滅させた。
こうしたずさんな計画によって、そこを無法地帯に変え、移り住んできた新人種は平気で大型ごみを捨てるようになり、そのつけは台風が来るたびにマンホールが詰まり谷戸下の住民は、家が床下浸水するというツケを払わされることになった。台風の度に腰までつかって上流からのゴミを攫ったことを何回経験したことか、この小川は災厄をもたらす何物でもない存在に変わっていた。時代を象徴するモダンなアパートは全く予想できる災害に無頓着であったのは、今ではとても考えられない無謀な計画に起因しており、破壊された生物系は今日の今日まで元に戻ることは無い。
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