日常細事2018


kiji


2018.9.19 義理(前編)
 この義理と言う言葉の響きには、何かぎこちないものがある。それは多分社会的規範に縛られているt所があるせいかもしれない。とは言え日本の社会においては古くからの慣習であり、一種の文化でもある。
 形式的義理はバレンタインデーの義理チョコと言われるものや、私にとって年賀状の一部で僅かな面識で数十年も続いているものの中にはその種のものがある。一方欠かせない拘束力を持つ義理もある。それは血縁者・親類との付き合いで、冠婚葬祭(主に法事)には必ず出席するか、「寸志」を包むような人間関係である。
 義理を具体的に定義している一文を紹介すると「義理とは、年齢、性、性格、家庭など個人的要因、時代、職業、立場、役割、環境など社会的要因、その他公私による特殊な要因によって異なる。自身の利害に関わりなく人として行うべき道義、とくに交際上嫌でも他人にしなければならないことなどである」
 ここで義理とはどんな実態なのか、諺・成句で紹介すると次のようなものがある。
 「義理と褌(ふんどし)欠かかされぬ」男子が常に身につけていなければならない「ふんどし」を引き合いに出して、義理を欠いてはいけないことを強調した言葉。義理と褌はずされぬ。義理と褌せねばならぬ。
 「義理一遍」つきあい上、心からではなく形式的にのみすること。
 「義理の柵(しがらみ)」人を束縛する義理を柵に見立てた語。
 「親の恩より義理の恩」親から受けた恩よりも、先生や雇い主など世話になった人から受けた恩の方が重く、先に報いるべきだということ。
 このように見てくると、最初に述べた言葉のぎこちなさはこのような「しがらみ」や「足かせ」のようなマイナスイメージが強いことが見て取れる。
 漱石の「草枕」の一節「智に働けば角が立つ。情に掉させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」と日本の世の習いについて嘆いている。 しかし、義理人情が大切な訳は、生きていくには他人との関係を避けることはできず、他人と関係する以上お互い好き勝手をすることはできないからで、これは世の中を円滑に生きていくための、昔から伝わる知恵の一種であると考えると、呑み込みが良い。 後編のテーマは「義理と人情」
 
 



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