日常細事2018


kiji


2018.9.22 義理と人情(後編)
 「義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界」。これは高倉健の名作『唐獅子牡丹』の一節である。人の世でも任侠の世でも、これが生きていく上での約束事のような言葉である。
 今回は「義理と人情」を秤にかけて見ることにする。
 人情という言葉の響きは優しい。おもてなしとかおもいやりは次のオリンピックのテーマである。それほど日本人の人情は世界に知れわたった情感である。辞書の定義によれば「人が本来持っている人間らしい感情、とくに人に対する思いやりや慈しみの心」とあるがこれは日本人の文化であって、諸外国ではこのように解釈されるようなことはない。
日本人を描いたルースベネディクトの『菊と刀』(長谷川松治:訳)に日本人の「義理」について細かく論述しているので、まずそれを見てみよう。
 日本人のよく言う言葉に「義理ほどつらいものは無い」というのがある。人は「義務」を返済せねばならないと同様に「義理」は返済せねばならない。しかしながら、「義理」は「義務」とは類を異にする一連の義務である。これに相当する言葉は英語には全く見当たらない。(中略)それは日本独特の範疇であって、「義理」を考慮に入れなければ、日本人の行動方針を理解することは不可能である。
 「人情」についても外国人の視点から見ることにし調べてみると、次のようになる。
 日本人は他人の生活に干渉しない。うわべの付き合いのように見える関係は、多くの外国人が偽善と感じている。日本人について、自分の主張を人に強制して受け入れてもらえる必要はなく、干渉せず、お互いに好意をもって付き合い、人が困ったときに助けてあげれば良いという、お互いの自由な生活を尊重し、困った時には助けてあげるのが「大いなる和の国」の流儀である。
 外国人が馴れない日本の生活に悪戦苦闘していると、周囲の日本人は「がんばって」「がんばってください」「がんばってね」と声をかけてくれる。実は初めは驚いた。よその国では、そういう経験があまりない。まごまごしていても冷淡である。
 逆に日本人は深い付き合いでもない外国人に対しても、そんな風に誰もが励ましのエールを送ってくれる。「暖かいなあ」と感じさせるのが、日本人の人情である。
 とまあこれは多少持ち上げ過ぎだが、日本人がこれを読んでも特に奇異に感じることがない。日本人は多少おせっかいで、特に肌の色の違う外国人に甘いのが「人情」の実態であるといえよう。
 こう見てきても日本人は義理に縛られ、人情に厚いということは明らかである。もっともこの基準若い世代がグローバル化してきているせいか、薄れているのも事実である。
 
 



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