2018.9.28 しつけ(躾)と行儀作法
この世の中から「しつけ(躾)」という慣習が消えつつあるように感じられる。これは世の大人が小さな子供たちに受け継がれてきた、良き慣習であったものだが、強制されて行われる学習のような教育とは違うあり方の上に成り立ってきた存在であるせいだと思う。
大人は子どもにとって良い見本でなければならないのに、その大人たちですらそのような躾を受けていないのだから、伝承することができるはずがない。これは考えてみれば由々しき問題である。
私の記憶では、私の父親は子どもたちの躾に厳しかったようだ。朝起きる時からそれは始まる。ということは父親に対する礼儀を教え込むということである。朝の挨拶は座って手をついて「お早ようございます」とまるで武家の作法のようだった。食事の時も父親が箸を取ってから始まり、全員「頂きます」と頭を下げる。食事中は口にものを入れて話すことは厳禁で、大体会話が無かったように記憶している。今では夕飯時は親子のコミニケションの場で賑やかな時間を過ごす機会ではないだろうか。
食事が終われば必ず「ご馳走様」と感謝の気持ちを示さなければならない。そして父親が会社に出かける時は、家族全員玄関で「行ってらっしゃい」と言って送り出す。帰ってくれば「お帰りなさい」と出迎える。それらは習慣となっていた。当たり前のことだが、目上の者への「口答え」は厳禁だった。
その上、子どもとしての役割もあった。たとえば買い物など醤油や豆腐、父親の配給制のたばこの購入に至るまで、手伝いの仕事は結構あった。親父の留守の間が解放された時間で、「子どもの遊び」で示したような遊びに夢中であった。
このように父親がいる時はぴりぴリしていたものだ。学校などでは「行儀のいい子」という評価であった。後年こうした躾を受けたことは「三つ子の魂百まで」の喩のように、社会に出てからの行儀作法も、ある程度身についており、それが人物評価にも影響していたと思う。
次回は今の世でどのように礼儀作法を教えていくのか、また現状はどうかなどについて書くことにする。
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