日常細事2018


kiji



2019.1.18 平成を生きて第Ⅶ章
 私が定年退職したころは60歳になった年度末に退職と言う時代であった。今は定年制も徐々に伸びて再任用による実質定年延長があったりして、人によっては70歳まで現役という人がいるかも知れない。多分雇用条件は変わるが同じ職場に長くおられるということはいい話に違いあるまい。
 かつては還暦、今は古稀というのも人生の節目が少しずつ長くなっているのであろう。いずれにせよ当時は60歳で第2の人生に踏み出したわけである。普通の人の場合定年後数年間は厚生年金に加わる職場が紹介されて実質的隠居生活には入らない。それだけ今の人はサラリーマンなど場合は健康寿命が長いということもある。無論農・漁業・職人を生業としている人には定年はないから、隠居生活に入るのは自分で決めるということになる。
 私は職人に憧れており、気質的には職人気質である。そこで第二の人生も自分の手職を生かす道を選んだ。IT社会に入れるほどの技量も資格も持っていなかったので、何が何でもパソコンに投資した分を取り返そうとパソコンインストラクターの道を選んだ。フリーランスのパソコン職人である。
 ところが世の中甘いものではない。単発の仕事に声がかかるが長期な仕事にはなかなか巡り合えなかった。それはパソコンの知識を持っていることと教えるということは別物であるということをその過程で知った。
 そんな時、求職欄を見てか、ある専門学校から声がかかった。その時は70歳になっていた。そこで不定期ではあるが年間を通す仕事にありついた。嬉しかった。生徒を前に講義し「先生」などと呼ばれ正直悪い気はしなかった。今思い返してみると、それから5年間は新たな勉強を重ねる日々であった。本当に生徒と向き合って信頼される授業ができると感じたのは最後の5年目であった。
 こうして私の第2の人生は75歳で次の節目を迎えることになる。稼いだ金額は月の小遣い程度だったので、年金生活だけで家族には苦労をかけてしまった。
 不器用な人生ではあるが、それでも第三ステージへと入って行くことになる。

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