2019.1.1 神奈川の年中行事1月
元旦の手始めのコラムであるので、継続して書いているテーマは次回以降に回して、非常に地域性の強い年中行事(神奈川の)について調べてみた。
正月に絞って県内の代表的祭り3つほどを上げることにする。その一つ小正月(15日)行われる横須賀鴨居のサイトヤキ(さいと焼き)であるが、鴨居に住む友人からその時の写真を送ってもらったことがあってよく覚えている。
このサイトヤキは 正月飾り・門松・ダルマ等を積み上げ燃やし,家内安全・無病息災を願う伝統行事で、 天まで届けとばかりに赤々と炎が燃え上がる様は壮観である。このまつり(祭礼)は地域によって呼び方が異なり、同じ県内でも 久里浜・野比・長沢等ではおんべ焼きと呼び,地方によってはどんど焼き・左義長と呼ばれている。この火にあたったり、焼いた団子を食べれば、その1年間健康でいられるなどの言い伝えもあり、無病息災・五穀豊穣を祈る民間伝承行事となっている。その歴史は古く、「どんと焼き」をネットで調べると「平安時代 正月十五日宮中で、清涼殿の東庭で青竹を束ねて立て毬杖(ぎっちょう)三本を結び、その上に扇子や短冊などを添え陰陽師が謡いはやしながらこれを焼いたという行事で、それが民間に伝わりどんど焼きとなったといわれている」とある。
相模原市田名の八幡神社では1月6日に「的祭り」という伝統的まつりをとり行う。このまつりは「的(まと)は叩いて平たくした葦で網代に編み、表面に和紙を張り黒丸を描いた約1.8メートル。弓は約1メートルの桃の木枝で弓は三節の篠竹で約40センチである。射手は両親健在の長男で、年齢は三、四歳で、父親と共に晴れ着で射座につく。幼児に代わって父親が三回的を射る。歩射の後、境内の舞台で神楽が演じられる」といういわば儀式である。その年の農事の豊凶を占う行事で、 古記録によると源頼朝の時代が起源ともされているのだと言われている。相模原市の無形文化財。
三浦市三崎では「チャッキラコ」という奇妙な呼び名の祭礼がある。1月15日「三崎の花暮・仲崎地区の少女たち、10人から20人が晴れ着姿で海南神社の境内などで踊る。唄は主婦が受け持つ。
ハッイセ・チャッキラコ・二本踊り。よささ節・鎌倉節・お伊勢参りの六種を、二列の向立舞と円舞とで舞う。所作は単純で体を左右に振ったり、足を前後に動かす程度で扇を指でかいたり、地上に落としたりする」 その起源は江戸時代まで遡り、『三崎志』(宝暦6年(1756)刊行)の年中行事として約250年前から伝承されてきたことが伺える。 国指定重要無形民俗文化財。
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