日常細事2018


kiji



2019.2.7 言葉の大切さ
 『始(はじ)めに言葉ありき』これは新約聖書ヨハネによる福音書1章1節の書き出しで「言葉はすなわち神であり、この世界の根源 として神が存在する」という意味である。人は言葉によりコミュニケーションをとり歴史を築き進化してきた。最近はAIといってコンピューターも人の言葉を理解することができるようになり、一般家庭にも家事ロボットなども導入されて、今では家の歴史すら変えるようになっている。
 どれだけ言葉か大切であるかということは言うまでもないが、まさに私の今は言葉を紡ぐことを生き甲斐にしている。このHPの根幹をなすコラムは大体800字前後で構成される言葉の集まりである。
 人の多くは対話という形で言葉を使う。何気なく繰り返される言葉の連なりが、喜怒哀楽という感情を湧きおこす。言葉を文字として表現する時は推敲を重ね慎重だが、話をする(おしゃべりや対話)時はもののはずみということもあって、往々にして感情的になるころがある。賑やかに騒いでいる時はいいが、いったん感情的な対立を引き起こすと双方が傷つく場合すら多くある。それだけ言葉は選ばないと取り返しの使いないものでもある。
 今国会の真っ最中であるが、討論の難しさを肌で感じる。野党VS与党という対立者同士が言葉の応酬を繰り返すのだから、一言一句に重みがあるはずなのだが、現代は政治家イコール弁士ではないから、言葉が洗練されておらず、ややもすると感情が表に出て、応答が粗雑で見ていて白けてしまう。丁々発止のやりとりがないので緊迫感にかける。この時期大切な審議が繰り返され日本の将来すら委ねているのだから、視聴者があきれてしまうようでは、それこそ話にならない。
 これで言葉の持つ大切さが、このコラムを見る人に伝わったであろうか。そうでないとしたら私の舌足らずということになる。常々言葉の重みを痛感していても、なかなかスッと腑に落ちる文章は書けないものだ。これからも言葉の勉強の種は尽きない。


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