2019.6.17 気持ちを空っぽにする
「writeしるす」でも連載した「禅」に関することの中で座禅がある。禅の修行の第一で「只管打坐(しかんたざ)」といってひたすら座り続けることである。
ところが坐禅の仕方にも何種類かある。一応紹介することにすると、先ずは正式な仕方は次のようになる(禅仏教 根源的人間 上田閑照著 岩波書店p235から抜粋)。
「まず身体を整えるところから始める。背骨を真っ直ぐにして坐ることを念頭に置き、少し大きめの座布団の上に座り、その際さらに尻の下に二つ折りにした座布団をしく。これに浅く腰かけたような具合にしてあぐらをかき、その姿勢から足を組んでゆく。まず右の足を左の股の付け根の上に深くのせ、次に左の足を右の股の付根の上に深くのせる。これが仏教用語でいうところの「結跏趺坐(けっかふざ)」というスタイルである。場合によっては片方の足をのせるだけにすることもある(半跏趺坐)。
うしろ頚を伸ばして顎を引き、そして尻をぐんと後ろに引きながら、背骨を真っ直ぐに立てる。これが最肝要。この状態をたとえて「青竹の節を抜いたように」とか「頭のテッペンから銅貨を落としたら尻の穴にチャリンと抜けるようにする」と言われる。
肩に力を入れず、腕は自然にたれ、両手を前で次のように組み合わせる。すなわち、右手の掌に左手を重ねるようにして握り合わせる、それを下腹部に付けて組み合わせた足の上にのせる。こうして、全体としてピラミッド型の「坐り」になる。
この坐りをきめるために、上体を前後左右に三回ほど揺り動かして真中心でピタリと止める。上体は軽くゆったりとして、重心はおのずから下腹部に定まってくる。真直ぐに伸ばした背骨は天地を貫く「尻で地球をぶち抜く」と言われる。
(*ここで更にひと押しして)このように「ゆったりと、どっしりと、凛然と,東海の天に富士山の突っ立ったように」正身端座するのである。このあと坐禅そのものに入るのであるが、これについては次号に続く。
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