日常細事2018


kiji



2019.6.21 気持ちを空っぽにする(2)
 前回は坐禅の坐り方について述べたので、今回は視線の置き方や呼吸法などについて記す。
「目は半眼に開き1m程前方に視線を落とす。見るでもなく見ないでもなく(ボーとした状態)結跏趺坐する。坐禅は身心一如(* 物事に一心に集中しているさま。また、身体と精神は一体であって、分けることはできず、一つのものの両面にすぎないという仏教の考え) であって、はじめから身体通して行ずる。
 坐というのは「を行住坐臥(四威儀)」の内の一つの特殊な姿勢にすぎないものではない。坐から立ち、坐から臥す。坐は四威儀の内の原「姿勢」なのである。
 このようにして姿勢身体の坐りがきまると第二に、調息、すなわち呼吸をととのえることに入る。まず、腹式呼吸を数度。それも、口を大きく開いて大気と下腹部の腹中とを直結するような具合にして、自己を一切カラッポにするように静かに長く長く吐いて吐きつくす。もうこれ以上吐けないというところでさらに口をすぼめて吐きつくしてゆく。
 そのようにして吐きつくしたら、今度は下腹(下っ腹)の緊張を緩めて口を閉じる。すると鼻から自然に空気が入ってくるが、それを深く下腹に満ちるまで吸い込む。十分吸い込んだらそこでちょっと息を止めて静止し、そして再び口を大きく開けて先程と同じように長く長く吐いてゆく。この深呼吸によって下腹の内外の空気が完全に交換され、真新しい出発となる。
 その後は、口を閉じて鼻から自然に空気を出入させながら『静かに細く長く』腹式呼吸をする。これはいわゆる『丹田息』である。『静かに細く長く』と言っても、呼吸には無理はできない。自分の自然な呼吸のリズムから始めて、自然に工夫されながら自分のものとなってゆく。
 一息一息ゆるがせにせず、吸う時は下腹深くまで吸い込むように、吐く時は下腹から呼気が出てくるように呼吸を繰り返す。以上呼吸法について詳しく説明した。次回は精神を統一する「調心」について記す。



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