2019.10.29 東京と江戸っ子(お国柄3)
東京の元をたどれば江戸であるのは誰もが知ることであろう。この江戸は徳川家康が駿府から幕府を移したことから始まるが、当然のように地方から多くの人間を集めた。直参の家臣をはじめ参勤交代による武士階級。大阪などからの商人や各地から集まった職人とその家族たちによって町がうまれた。言ってみれば寄り合い所帯によって構成されていたわけで、当初は独特の気風など無かったことだろう。
100年以上が過ぎ、三代続いた江戸生まれが登場するに及んで「江戸っ子」が誕生した。この時は元禄時代も過ぎて江戸は世界でも有数の百万都市にまでふくれあがっていた。当時の人口の半分は武士で残りの半分が商人や職人や町火消しなどの町人であったり、農漁業に従事する生産者であった。そうした人たちの中に「ハつぁん」」「熊さん」などのような江戸っ子と言われる一割程度の職人や物売りがいた。
江戸っ子との気質が今の東京を代表する気質として引き継がれてきたことも歴史の事実である。では彼らはどんな人間像として描かれていたのかのだろうか(wikipediaから引用)。
『多くの研究者は江戸っ子の性格として「見栄っ張り」「向こう見ずの強がり」「喧嘩っ早い」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」などの点をあげている。また江戸っ子の性格をあらわす表現としては「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し」、「江戸っ子の生まれ損ない金を貯め」という川柳に見られるような「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」という金離れの良さを著した言葉がある。現代に見られる類型的な江戸っ子像として「金離れが良く、細かい事にはこだわらず、意地っ張りで喧嘩早く、駄洒落ばかり言うが議論は苦手で、人情家で涙にもろく正義感に溢れる」「いきでいなせ」などと表現される短気・気が早い、などとも言われ、江戸っ子気質(えどっこかたぎ)などとも呼ばれている』とある。
幕府を開いた将軍様家康は三河の生まれで「質素倹約」を旨とした。そんな中で「宵越しの金は持たない」という気質の江戸っ子が誕生したのだろう。その背景には「家事と喧嘩は江戸の華」という喩があるように、財を成しても大火で一瞬にして消えてしまう世の無常を見続けたからだという説がある。そうして受け継がれた血は東京人(古くから東京に住み続けている)は「お金に執着しない」の気質が残っており、「気風も気前のよい江戸っ子」を評して大阪人は「えーかっこしい」だと本音で生きる関西人らしい評価をしている。続く。
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