日常細事2018


kiji

2019.11.15 東北地方秋田県(お国柄7) 
 秋田県の地形を見ると三方を山に囲まれている。北は世界遺産で知られる白神山地、南は丁(ひのと)岳山地と鳥海山、東は奥羽山脈という地域柄で、かつては外敵の侵入が難しい「自然の要害」という場所が特徴だった。このことは住民の安全を守るのとは裏腹に他国との交流を阻んだ。その結果県民性として、他県と交流が遅れ、よそからの文化もなかなか入って来なかった。そのことにより「よそで何が起きていようと何と言われようとわが道を行く」という特有の県民性が生まれることになる。
 歴史的にみると、徳川の時代に藩主の交代がなく佐竹氏が二百六十年の文化と伝統を守った。江戸時代に秋田藩はお米の生産を奨励することによって大量生産が可能になり、それを海路を通して他県へ売却できた。
 それにより裕福で欲しいもの(着物などの多くの贅沢品を)をどんどん購入することができた。北国特有の風土は男性を割合に肌がきれいな「やさおとこ型」にし、女性は温柔で家庭的で「秋田美人」が多いとされる。気質は「秋田は金の出る国、湯湧く国、他国の人に儲けられる国、秋田は田の国、米の国、米の外に農業を知らぬ国、秋田は酒旨き国、女美(よ)き国、人らしき人の出ぬ国」(安藤和風『秋田』 1866-1936:現秋田魁新聞社主から)によく表されている。
 一見もの静かで潔癖ともされるが、食が豊かで米どころ・酒処は、人づき合いも気前もよい。負けず嫌いで、見栄っ張りなところは隠せない。特筆すべきは「秋田名物数々あれど、訛り具合が日本一」と言われている。
 このお国訛りと「わが道を行く県民性」を表す事例として、明治の中頃、日本語を統一するために国会を中心に標準語教育が叫ばれた時期があった。これは全国各地で使われていた郷土色あふれる方言を禁止して言葉を統一しようとしたもので、この運動に最後までかたくなに抵抗したのが秋田県人だという「おらだちのことばは、秋田特有のもんだ」と言っていつまでも使い続けた。
 このため中央政府が秋田県知事に任命した武田千代三郎が、東京から秋田に赴任し、県庁職員に新任の挨拶をしたところ、職員には何を話しているのかさっぱり分からなかったとい話が伝わっている。そのことは反面陳情などで職員が中央政府に赴いて秋田訛りで話しても通じないということになり、こうした恥をかいているうちに職員たちは自発的に標準語を学び、やがて秋田県内にも標準語が浸透していったという。これは気質として「根が真面目な秋田県人は、何でもその気になって努力すると実力を発揮する」という一面を示している。 続く

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