日常細事2018


kiji

2019.11.27 東北地方福島県(お国柄11)
 福島県は2011年に起きた東日本大震災の原発事故の印象が強く残っている。完全復旧するにはあと何年後か数十年後か不明である。そんな状況の中で福島県民は「我慢強さ」や「連帯感」など、その気質が十分に発揮されている。
 福島県は東西に広く地形的な差も大きい。一般的に海に近い地域の「浜通り」、県庁所在地の福島市を含む「中通り」、そして歴史で有名な「会津地方」の3地域に分類される。この3つの地方は江戸時代には行政区分も違っていたように、県民性も大いに異なるのが特徴である。
 沿岸部の「浜通り」は比較的暖かい気候と海に面しており、漁師町が多く、開放的で気が荒い性格が特徴。福島市や郡山市白河市を結ぶ「中通り」は領主が頻繁に代わった歴史からも、柔軟な発想力で新しいもの好きで、多少閉鎖的だが陽気である。「会津」はもっとも東北人らしい気質を持つ地域で頑固で辛抱強いといった雪国気質が強い。そんな3つの地方を一県にまとめたので、かえって各地方の人々はそれぞれの郷土愛が深まった。同郷のつながりを大切にし、他方のものを敬遠する傾向があり、付き合うには、仲間にしてもらえるよう地道な努力が必要だといわれる。
 「浜通り」と「中通り」に対して会津若松を中心とした「山通り」が「会津っポ」と呼ばれる強烈な気質を備えた人たちの地域である。繰り返しの説明になるが、「会津っぽ」は中通りの住民よりさらに閉鎖的、厳しい寒さに耐え続けた歴史が彼らを「頑固者」に育てた。「会津っぽ」の精神の中には明治維新「会津戦争」の負け戦の中「 西郷頼母邸では篭城戦の足手まといとなるのを苦にした母や妻子など一族21人が自刃し、城下町で発生した火災を若松城の落城と誤認した白虎隊士中二番隊の隊士の一部が飯盛山で自刃するなどの悲話が後世に伝えられている(wikipedia)」のような歴史的事件が語り継がれ郷土愛を強める一因となっている。どうぞ会津に「寄ってがっしぇ(いらしてください)」 続く。

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