2019.7.24 目の先2m
現在腰のリハビリとして、日頃の散歩を心掛けているが、まだ足の動きが安定していない。そこで遠くを見て歩くと"しんどい"と思って心が萎える。そこでなるべく遠くを見ずに目の前だけを見て歩幅を揃えて歩くようにした。その仕方は目の先2mに焦点を合わせて歩くということである。そうすると歩くことだけに集中できる。目先に拘るという表現はあんまりいい意味には使われないが、あまり先を見るというのも今の自分には現実的ではないような気がする。
目の先2mは必ずしも歩くことだけの焦点合わせではないかもしれない。私の今後の生き方にも関わる問題と言ってもいいだろう。当然そこには年齢に相応しい生き方というものがある。
それが「目の先2m」という考え方で、もうあまり先を見越して色々人生設計する必要はないから、ざっくばらんに言えば、今自分の身の丈で生きる。すなわち禅語に見る「日々是好日(にちにちこれこうじつ)」という言葉がにわかに現実味を帯びてくる。言い換えれば「肩の力を抜いて、こだわりのない生活をしよう」という生き方である。
今更人生論ではないが、何と言っても目の前2mの範囲内だから、人目には気がつくような変化は見えないはずである。これは気持ちの持ち方に関わることであって、人それぞれのライフスタイルなどは100人100様であっても何もおかしいことではない。
2mというと近視眼的見方に思えるが、これで結構足元が良く見えて高齢者にありがちなケアレスミスの最も大きい「転ぶ」ということを回避することができる。人生「七転び八起き」というけれど、この歳での「一転び」は致命傷である。近視眼的になると、何やら小さい事に「こだわる」というイメージで先の言葉と相反するように聞こえるだろうが、そうではなく小さいことでも観察眼を大きく持てば、今まで常識的に捉えていたことが百八十度度違う世界に誘ってくれることだってある。
最近片方の目の白内障手術をして、視力が回復し、今まで使っていたメガネが使えなくなり、新しくメガネを作り替えた。そのせいか相対的に視力が復活して、今までと違う別世界を見るようで、そのことも「目の先2m」論に通じているようだ。
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