日常細事2018


kiji

2020.2.9 岡山県(お国柄30)
 今回紹介する岡山県は備前、備中(びっちゅう)、美作(みまさか)の三つの国から成り、中国五県の中では平野部が最も多い。 中国地方山陽道の中央に位置し、山・川・海すべてそろっているため、中国四国地方の交通の要として古くから重要な地域だった。一年を通して温暖・降水量も少ない。「晴れの国おかやま」のキャッチコピーで有名。その温暖な気候を活かし、白桃やマスカットなど、果物の生産も盛んに行われている。
 総面積は7112平方キロメートル・人口は193.2万人。桃の生産量は全国6位、消費量は2位。ぶどう生産量は4位、消費量は2位。そして、お米・トマト・和食外食費用がなんと全国47位でワーストなのも岡山県のユニークな特徴だ。
 こうした「晴れの国」岡山。明るく穏やかで、温厚なイメージがある。男性は積極的でまた合理的で理論的。協調性は高くない方。一方女性は真面目で一生懸命、温厚な性格をもつ傾向も。完璧主義で中途半端なことが嫌いな人も多いようだ。
 冒頭岡山はかつて備前、備中、美作の三つの国で成り立っていたと示したが、備前は岡山県南東部の地名。中心地区の片上(かたかみ)は山陽道の宿場町・港町として栄えた。耐火煉瓦工業と備前焼や閑谷(しずたに)学校などで知られる。江戸時代の備中国は、数多い知行地に分割領有された。現在の高梁市にある松山城が備中国唯一の城で、残りは陣屋を構えた。松山城下は江戸時代はじめに備中国で最大の人口を抱えた。倉敷は、城下町ではなかったが、徳川氏政権の直轄地として代官所が置かれ、幕府によって備前国から讃岐国に移管された小豆島なども統治した。江戸時代を通じて発展を続けた倉敷は松山と肩を並べ、やがてこれを凌駕して備中最大の都市となって現在に至る。
 美作は明治維新後に岡山県の管轄となって以後は県北の一部として扱われ、名称として東部の美作町が残る程度で特に旧国としての美作を意識した活動はなかった。平成25年(2013年)に美作国建国1300年記念事業が行われるなど、再認識が進んでいる。
 「晴れの国」岡山県人は頭の回転が速く、どんな時でも機敏に対応できる。岡山県人の心の奥には、「岡山は田舎じゃけんど、大阪や京都の人間に頭では勝てると思うけぇ、大阪や京都が気になるんじゃ」という思いがあるとされる。そうしたことから「競争心が強く」「負けず嫌い」が多いと言う。
 ちばけるばあしょうたらおえりゃあせんで(ふざけるばかりしてたらだめよ)。

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