2020.4.19 非日常的日常
ここ3か月ほど新型コロナウィルス感染蔓延で世界中が恐怖に晒されている。いまだ収束点が見いだされていない。
この事態が発生した当初は、軽いインフルエンザ程度にしか見られず、人々は普段通りの生活をしていた。中国武漢で爆発的に感染が広まり、それがダイヤモンドプリンセス号が横浜に着岸してからは、事態は一変した。 このあたりから日常生活に異変が見え始めた。市場からマスクが消えた。非日常的生活の始まりである。
私にとっては普段の生活が隠居であるから特段の変化は出なかった。散歩のコースが変わったことぐらいだった。実はここに非日常性が潜んでいた。散歩コースの折り返し点は近くの図書館、スーパーのフードコートや喫茶店にしていた。それが「3密」のどれかに当てはまるため行くのを止めた。確認したわけではないがどこも休館したり営業を自粛しているかもしれない。この折り返し点の休憩場所は私にとってはオアシスのような存在で、散歩する大きな動機付けになっていた。楽しみがないと空しいと感じるのは当たり前の感情であろう。以来外出自粛を理由に殆ど外に出ない日が続いている。まるでこうした非日常的日々が日常になってしまっている。
非日常性の毎日が続くと、人には何らかの変化が生じると考えて間違いない。家に閉じこもればストレスが溜まる。
特に子どもは「風の子」だから、じっと我慢しているのは無理である。かといって学校は休校だし、塾も休みだ。友達と遊べないということは、自分の幼少時を思い返しても一番辛いことだろう。一応自粛期間は5月の連休明けまでだが、そこまで我慢できるものだろうか。アメリカのように更に1か月延長ということにでもなれば、どこかでガス抜きをしないと、丁度私が経験した子供のころの戦中戦後のトラウマのようなものを子どもたちに植え付けてしまうのではないか心配だ。
このウィルス(見えない恐怖)との戦いはワクチンが開発され接種されるまでは続くのではないかと今は感じている。それまで人々に日常的生活が戻るとは思えない。
人々はどんな知恵を絞ってこの閉塞感を打開して見せてくれるのだろうか。
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