日常細事2020


kiji

2020.4.29日本人のルーツを探る(1)
 今回から日本人のルーツを地域別に探っていくことにする。
 前提としては先住民を基本として分類すると、次のように認識される。「日本列島には蝦夷や隼人などの集団が居住していたが、ヤマト王権成立後は同化が進み、これらの集団が大和民族と呼ばれるようになった。琉球民族も琉球処分により日本民族に加えられたが現在の日本政府ではアイヌのみを日本の「先住民族」として認識している」というのが現状である。
 そこで先ずは北海道に残るアイヌについて観察してみた。
 アイヌとは主に北海道・樺太・千島列島に居住する先住民で、狩猟や漁業・農業に従事し大陸との交易を行っていた。文字は持たず言語はアイヌ語で、独自の文化や生活様式を有していた。北海道を拠点にしてかつては東北地方までアイヌ民族は進出していたことは地方に残る名称にその跡を残す。アイヌには文字がないためその歴史には謎が多い。(出典:以下wikipediaなどを参考にした)
 東北の蝦夷「えみし」は和人(大和民族が自分たちをアイヌと区別するために用いた自称)により古代から征討の対象とされ、平安時代後期までには東北地方北端まで平定され和人と同化した。東北地方は弥生時代から稲作文化が流入していた一方、アイヌ語地名も散見され、古墳時代にアイヌが寒冷化により東北地方に南下するなど、歴史的にも和人、アイヌの混交の地であったとも考えられている。
 アイヌは、独特の文様を多用する文化を持ち、織物や服装にも独特の文様を入れる(かつては身体にも刺青を入れた)風習があった。生活はコタンと呼ばれる集落を形成して暮らしていた。コタンは、食料が得やすく災害に遇いにくい川沿いや海沿い、湖畔に作られた。家(住居)はアイヌ語で「チセ」)は、「掘立柱建物」と呼ぶ建築様式である。
 アイヌ民族は自然や物など全ての物に魂が宿っていると考え、それらを人と区別してカムイ(神)として崇めていた。
 頭書述べたように、アイヌ民族の生活の基盤は狩猟や漁業で、捕った獲物の肉は食料に皮は毛皮として、自分達で使用したり物々交換に使用していた。 アイヌ民族は文字を持たない民族で、女性たちは幼少の頃より文字を習う代わりに文様の描き方やかごの編み方などを習った。それらは現在では工芸品やお土産品として、訪れる観光客に広く知られる人気商品となっている。 
 歴史をたどると、19世紀に日本の中央政府により「同化政策」が行われ、明治時代には蝦夷地と呼ばれたアイヌ民族が暮らしていた土地が明治政府により併合された。こうしたことによって、アイヌ独自の文化や言語が失われていき、その数も減少していった。
 北海道庁の調べによると2006年時点では2万3千人ほどのアイヌ人が、北海道に今もいるとされている。 2019年4月19日、国会はアイヌ民族を日本の先住民と認めて支援を行うアイヌ民族支援法を制定した。




 

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