日常細事2020


kiji

2020.6.20 日本人のルーツを探る(16)
 今回は愛知県の成り立ちを調べてみた。
 (http://www.kakeisi.com/及びwikipediaを抄訳)
 愛知県は律令体制以前は、尾張(木曽川・庄内川地方)、三河(西三河の矢作川地方)穂(東三河の豊川地方)の3地域に分かれていたが、これが令制国では尾張国と三河国に当たる。
 尾張国は鎌倉幕府の初代将軍であり武家政権の祖である、源頼朝が生まれた地域(名古屋市熱田区)との説がある。また三河国は、室町幕府を開いた足利氏が、初代足利義康正室の出身である藤原南家が開発した岡崎を拠点とし、日本の中世・近世における支配者氏族との関係が濃い地域である。
 戦国時代には、織田信長と信長の臣下で同盟者である豊臣秀吉、徳川家康など三英傑をはじめ多くの武将を輩出し、中央政局に大きな影響を及ぼした。全国の大名の約7割が愛知県(尾張・三河)出身とも言われている。大名家だけでなく家臣団や一部庶民も封地へ移り住んでおり、近世日本の大部分は三河武士や尾張出身武士団の支配を受けた形となっていた。
 江戸時代以降、尾張は徳川御三家のひとつである尾張徳川家の領域となり、三河は譜代大名領、旗本領、寺社領、天領と分割支配された。
 明治4(1871)年の廃藩置県の後、12県(名古屋県・西尾県・岡崎県・豊橋県など)が置かれ、同年11月に尾張(知多郡を除く)は名古屋県に、三河と尾張の知多郡は額田県となり、明治5(1872)年4月に名古屋県は愛知県と改められ、同年11月27日に額田県を廃して愛知県の管轄に移し、永く続いた尾張国、三河国は愛知県として統合された。
 「あいち」の地名は、万葉集巻三の高市黒人の歌「桜田へ鶴鳴き渡る年魚市潟(あゆちがた)潮干にけらし鶴鳴き渡る」に詠まれている、「年魚市潟(あゆちがた)」の「あゆち」が「あいち」に転じたと言われている。
 廃藩置県後、県庁が愛知郡の名古屋城内に置かれたところから県名に採用された。
 全国的には愛知県=名古屋という印象が強いが、愛知県でも尾張と三河では歴史的背景や風土が異なり、愛知県民にとって名古屋といえば普通は尾張の名古屋市(終わり名古屋)のみを指し、。岡崎市や豊橋市、蒲郡市、豊川市など歴史的な三河地方の都市は名古屋とは一線を画すと言う気質がある。





 

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