2021.3.29 比べる(春が来た)
マンションの入り口に咲く桜が今満開を迎えている。開花から一気に満開になったような気がする。毎年春の到来を告げる桜だが、今年は昨年に続きゆっくりと鑑賞することが出来ない。新型コロナウィルスが一向に収束してくれないからだ。
これから年度末そして新年度。日本の春はいつもなら心躍る季節だ。新しい出会いやスタートの季節でもあり、独特の活気に満ちているはずだ。その流れに掉さすのがこのコロナ禍である
外に出れば、自然も生物や動物もいつもと変わらぬのどかな風景を見せている。人だけが置いてけ堀を食ったように、コロナ対策に追われて通常の春を迎えることが出来ない。
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
花が咲く 花が咲く どこに咲く
山に咲く 里に咲く 野にも咲く
鳥がなく 鳥がなく どこで鳴く
山で鳴く 里で鳴く 野でも鳴く
日本の原風景は何も変わらない。数百年も前から気候は大きくは変わらないように見える。
ところが気候変動が京都議定書(今はパリ協定)以来人々に警鐘を鳴らしており、200年前の地球の総人口は10億人。今は70億人。生きるために自然が破壊される。人災である。このまま地球環境が破壊され続けると、22世紀は『ブレードランナー』の世界になってしまう。
このcovid19が示した別の顔は、世界の生産現場が足止めを食った時、地球環境は改善されたという皮肉である。北京の汚れた大気汚染の空が青空になったそうだ。この事実は人類に対する警告なのかもしれない。争いをやめクリーンなエネルギーだけで生活する。そんな社会を生み出すことが人類の英知なのだと教えている。
科学は世界を変える。それを支配するのは政治である。世界の指導者と言われる人々にそうした英知があると信じたい。
今回は成り行きで普段の「日常細事」の枠を超える話に広がってしまった。これも「日常」が失われた生活が続き、小さな隙間から空を見上げると空の大きさが分からないような、そんな閉塞感が成せる業なのだろう。
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