2021.4.13 近代日本防疫史
現在コロナ(covid 19)が変異を繰り返し猛威を振るっているが、こうした流行り病は今に始まったことではない。
江戸時代後期から明治時代初期にも大きな疾病が日本中に蔓延し多くの犠牲者が出た。
その疾病とはコレラである。罹患を避けるために採られた防疫策が今に似ているので紹介する。
今回も仄聞(そくぶん)で恐縮だが原本は『日経nippon.com/』から抜粋した。
我が国においては、感染症のパンデミック(世界的大流行)には、19世紀まで巻き込まれていない。この国に最初に猛威を振るったのが、江戸時代後期のコレラである。
その状況について「100万人以上が暮らす世界最多の都市人口だった江戸の町に、コレラの脅威が及んだのは安政5(1858)年。感染源はペリー艦隊に属していた米国艦船ミシシッピー号で、中国を経由して長崎に入った際乗員にコレラ患者が出たと伝わる。
これを発端に、パンデミックが起き、江戸の死者数は約10万人とも、28万人や30万人に上ったとも記録が残っている。発祥地が横浜のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」だったことも事象がにている。
先ずコレラという名称だが色々説がある。上記原本では「各地方でいろいろな名前で呼ばれた。頓死を意味する「コロリ」という呼称が定着する。くしくも「コロナ」とは一文字違いである。漢字の当て字もさまざまだ。まるでキツネやタヌキに化かされたように急死するために「狐狼狸」と書いたり、千里を駆ける虎のように瞬く間に伝染していくことから「虎狼痢」という字を当てたりした。後に病名が「虎列剌(コレラ)」として浸透したので「虎」の字は猛威を伝えるのにふさわしかったのだろう」とある。
続いてその対処法だが「コレラの流行まで日本国内に医学的な感染症対策はほとんどなかったが、江戸幕府は文久2(1862)年に洋書調所に命じて『疫毒預防説』を刊行させた。その中に『身体と衣服を清潔に保つ』『室内の空気循環をよくする』『適度な運動と節度ある食生活』などを推奨している」
とあるように、現在行われている一般的防疫法で、マスク、ワクチンや治療薬がないところが現代と違うが、国民ができる対処法は基本的に同じである。
いずれ収束するであろう新型コロナウイルスの名称も「コビット」とか「新コロナ」といったような俗称で民衆の頭に刻まれることだろう。
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