日常細事2021pre


kiji

2021.4.7 創作する
 前にも一部書いた記憶があるが、私のHPの作り方には独創性がある訳ではない。例えば歌麿や北斎の浮世絵や肉筆画は、経年褪色を元に復元しようという試みなのである。
 原版は相当に色褪せしている。だが輪郭さえ分かれば、一旦原版を白黒(グレースケール)にして、それを原版と対照してより鮮明な色を着色していく、色の境目やグラデーションのかかった個所はボケ筆で色に変化を付けるなどのテクニックがいる。
 同じ絵でも「生物百様」のような花果などを描く場合は、写真の画像を写生する。デジタル画であるので、これもトレースするようにパソコンで輪郭をなぞる。PCでトレーシングペーパーに変わるのが、レイヤーといった原画に被せる層を設定して行う。コピーすると別に白黒画ができるので、それに写真を参考に色をつけて行く。これは場所によって多少アクセントをつけ、私の場合はできるだけ混色を避けて「張絵」のイメージで描いていく。これなどマイペインティングも同様の手法を使う。
 前者の浮世絵が原画の褪色を復元するのに最大の努力が払われるが、ポケット「えがく」の他のジャンルは基本はデッサンなので、私の好みの色が絵に反映されるので、独自性がある。それが創作と言われる所以である。たまにネット上他の人の作った、テーマを主題にした画集に一部取り込まれて紹介されることがあるが、一目で自分の描いた絵であることがわかる。
 パソコンの画像は点(ドット)の集合体だ。精密な絵ほど細かいドットを多く使う。念の入る作業なので、集中してデジタルペンを振るう。
 集中する「今ここだけ」の瞬間に没頭する時生きている実感を感じる。そこに自ずから命を与えた作品が生まれる。
 復元作業と贋作との違いは、そこに人を欺く行為が伴う。私の場合はあえて言うなら模写である。素人のわたしは模写で絵を学ぶ。だから私は描き続ける限り、常に学んでいることになる。
 だが、こうした作業に自分を燃焼している限り、生を実感できる。孤独な作業のように見えるが、頭の中に色々な光や形が織りなされ夢中になる。そこに独りぼっちではない別次元の自分がいる。
 生きるという実感は人によって違うことと思う。だがしかし、我を忘れて打ち込むことができるなら、その状況は全く違っていても「ただその瞬間を生きている」という実感は同じような性格を持っているに違いない。それ故「それ」にとり付かれる。





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