2021.5.19 芋談義
芋には幾多の思い出がある。先ずさつま芋であるが、これには苦い思い出が(さつま芋が甘いにもかかわらずだ)ある。
今は昔戦時中(第2次世界大戦)のことで、国民は困窮し食べるものもなく、芋が主食だった時代がある。飽食の時代で生活する人には想像もできない時代だった。
その時のさつま芋は沖縄100号といって図体だけはでかいのだが、殆ど甘みは感じられない代物で、元々飼料用・アルコール製造用に開発された物で、収穫量の多さだけが取り柄で、どこでも育った。主食だからまるで家畜に餌をやるように、すごく不味いが毎日食わされた。それがトラウマとなった。今では改良されて「栗(9里)より(4里)うまい13里」といって焼芋として結構町では出回っている。焼き芋や蒸した芋は美味しいという人も多いが、私の好みではない。
それに較べてジャガイモは好きだ。つい最近亡くなった友人が、私の結婚式のスピーチで私の顔を評し「ジャガイモ」という名言を残したことだから、ジャガイモには愛情すら抱いている。好きなレシピの1番はポテトサラダで、次いでポテトフライ、おでんの具のジャガイモそれに蒸かした「蒸じゃが」と言ったところが上げられよう。
姿が違う山芋(ジネンジョウ『自然生』、ジネンジョ『自然薯』とも呼ぶ)は庶民の手には届かない貴重品である。昔は友達と藪の中に入り、見つけ方や掘り方などを教わりながら自分で掘り出して持って帰り、とろろ飯にして食べたのを覚えている。食後に口の周りが痒くなるのが難点であるが。
里芋の煮っころがしなども、家庭料理としておふくろの味といわれるような親しい存在である。 里芋(サトイモ)は東南アジアが原産とされる独特のぬめりと食感が人気の芋で、山形県の芋煮会に使用されている芋として有名である。
里芋と同類に八頭(やつがしら)という芋がある。八頭は親芋と小芋が一体化し同程度に大きくなって、まるで八つの頭があるように見えるのでこの名前が付けられたという。
もともと里芋は小芋がたくさんできることから「子孫繁栄」の意味合いがある。さらに八頭の八は「末広がり」、頭は「人の頭に立つ(出世する)」という意味を込めて、正月の縁起物としておせち料理に欠かせないレシピである。
さつま芋を食べると「おなら」がでるのは 食物繊維が関係で、どうしても腸内にガスが発生するからだと言う。私などはそれでなくても普段からよくおならが出るので、自分から進んで食べることはない。
この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
2013年の記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.