日常細事2021pre


kiji

2021.6.16 縁
 人が何かの拍子でめぐり逢い、引き合って結ばれる。これは何かの縁である。よく考えるとこの縁と言うのは良きも悪しきも常に身の回りで生まれている。
 人は生まれ付いた時から親類縁者という血縁で結ばれる縁を持っている。近頃は少子化が進みこうした関係の輪は狭まりつつあるように思える。
 そこで今回のテーマ「縁」について少し詳しく調べてみた。
 先ず言葉の定義を『ことバンク』で調べると、「縁」とは仏教用語で広い意味を持っていることが分かった。簡略化してまとめると次のようになる。
 「巡り合わせ」という意味とか「結果として何かを生じさせる原因となるもの」という意味を総称して縁と言う。「縁は異なもの味なもの」という諺がある。これは「男女の縁はおもしろいもので、どこでどう結ばれるか予想がつかない」という意味であったり、
「人の出会いは非常に奥深く、味のあるものだ」という意味であったりする。
 これが縁の始まりであるが、冒頭示したように、こうしためぐり逢いで生じた縁は次第に拡大・消滅していく。30代、40代、50代と縁の輪は大きく拡大する。名刺ケース数個分の人が名を連ねる。
 それが60代、定年を迎えると同時に激減する。300枚ほどあった年賀状が100枚となり、80歳を過ぎると自ら縁切りをして50枚ほどになっている。これは血縁者であったり、深い仲の知人に限られる。それが毎年櫛の歯が欠けるように消えていく。知人の殆どが同年代だから仕方のないことだが無常を感じる。古人も「秋かけていひしながらもあらなくに木の葉ふりしくえにこそありけれ」(伊勢物語)風雅に詠っているが、そこはかとなく寂しさが伝わってくる歌である。
 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の「縁」の解説では「仏教用語」仏教ではあらゆる存在に固定的実体を認めず,諸条件の寄集ったものと考えるが,その因果関係において因を助成する間接的原因を縁という。
 ここで因縁という言葉が浮かんでくる。仏教ではすべての生滅はこの二つの力によると説いている。
 中国や日本では「八宗の祖師」と尊敬されている龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は「この「因縁」というのが因果の道理のことで、因果の道理は仏教の根幹である。因果の道理に立脚して教えを説かれたのがブッダである。では因果の道理とは何かというと、この世のすべては、因と縁が和合して生じている」としている。
 今回は人と縁について主に仏教的解釈でまとめてみた。




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