2021.6.28 とぼける
人はよく本音は隠してとぼける事がある。ボケとは違うもうちょと知恵を使う、「 シラを切る. 知らんぷりをする。 わざと知らない振りをする。しらばっくれる」などとも言える行為である。これは年の功とでも言える処世術の一つで、自分本位で世渡り上手という側面がある。人に腹の内を見せない人はまるで悪人扱いされるが、そうなると腹の探り合いをする政治家は皆悪人になってしまう。
weblio辞典でその使用例を上げるなら、次の3つに大別される。「肝心な点になるととぼける」「とぼけた味がある」「ぼけて我が子の顔も知らぬ」などと例示されている。
さて、「とぼける」ことは悪なのかということに関し、古典が認めるとぼける技術(www.megurilab.com/)に、中国の古 典、五経の一つ『易経』には次のように記されている。「箕子之明夷。利貞:箕子(きし)の明(めい)、夷(やぶ)る。貞(ただ)しきに利(よ)ろし」これだけではさっぱり意味が分からない。次のような話がその内容だ。
「殷の時代、箕子(きし)という賢者が紂王(ちゅうおう)という暴君にあらぬ疑いをかけられ、捕らえられた。これに際して、箕子はあれこれと尋問を受けるのだが、この時、「とぼける」を使う。狂人のふりをして、おとぼけをかまし、その場を丸く収めたと」いう記述が残っている。易経に残された古人の知恵「「めんどくさい時にとぼける事は良い事なんだよ」と言っている。
世の中には「黒白はっきりしろ」「お前は黒か白かどっちだ」と二者択一を迫られるケースも多くある。そこを無理にどちらかの判断をしてひどい目に合うこともあるだろう。
今回のオリンピック・パラリンピックを開催するか中止にするか。開催しても有観客にする無観客するかで現在大論争が行われている。コロナ禍での開催は中止となれば、これは一つの見識と言えよう。私には話がもう実際には開催ということになっている風にも見える。
このケースの場合は、おとぼけのままどんどん既成事実を積み上げて、その間にワクチン接種を急拡大して罹患者を減少に向かわせることで、いつの間にか五輪は終わっているという事になるというのが私の観測である。
という話になれば、この五輪は「壮大な『おとぼけ』の中で箕子(きし)の例を上げ、粛々と競技が行われた」というような記事を報ずるような新聞社も出てくることだろう。
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