日常細事2021pre


kiji

2021.10.24 諺集に見るわが人生(30)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。(「」の前後の句読点は省略)
 「一片の雲も日を蔽おう」ひとひらの雲でも太陽を覆い隠す意から。わずかな邪魔物でも、ときには大事の原因となることがあるので、侮りがたいということ。
(類義)一指もまた明を蔽う。一葉日を蔽えば泰山を見ず。失敗には何らかの原因がある。ちょっとした迷いで行く先を見失うことがある。世の中は一枚の葉が積み重なり、全くお日様が暮れた状況で混沌の情勢になっている時だってあった。
 「いつまでもあると思うな親と金」親がいつまでも面倒をみてくれるとは限らず、お金も使えばなくなるという意味の諺。 相手の自立と倹約をうながすときに使用する。 倹約とは、無駄を省き、節約すること。
 また、「いつまでもあると思うな親と金」は大きく分けると、他に二つの意味がある。 一つ目は、親から早めに自立をしておいた方が、後に楽になるという意味。 また、親のそばでその恩恵を受けている時は、しっかりと倹約するのがよいという戒めの意味もある。
 順調とはいえない人生を歩んだ私には貧しさゆえの「モノ欲しさ」で倹約などしなかった。その時々で大金を投じ買い揃えたオーディオセットなどは、技術の進歩のため粗大ごみとなり、金をかけて処分してしまった。今はスマホひとつでその機能は何でもできる。
 「いつも柳の下に泥鰌(どじょう)はおらぬ」柳の下で泥鰌が捕れたことが一度あったからといって、柳の下に行けば必ず泥鰌がいるというわけではない。
 転じて幸運なことがあったからといって、その後もまた幸運があるとは限らないということ。「いつも柳の下に泥鰌はいない」ともいう。
 宝くじの話をする。30数年以上前に私は初めて宝くじを10枚(連番)買った。そしたらその中に5万円の当たりくじが入っていた。ビギナーズラックというやつだ。すっかり気を良くした私は、それからというものジャンボ宝くじの度に3.000円投資し続けた。さっぱり当たらないまま30年ほど過ぎ、やっと諦めて買わなくなった。一匹の泥鰌のために30年間無駄遣いすることになってしまった。今でもジャンボ6億円などという看板を見ると心が疼くが、じっとこらえている。 次回に続く。




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