2021.11.10 諺集に見るわが人生(34)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。(「」の前後の句読点は省略)
「今泣いた烏(からす)がもう笑う」今まで泣いていた子が、すぐあと、きげんを直して笑っていること。おもに、子供の喜怒哀楽の感情の変わりやすいのをたとえていう。ずるがしこそうなカラスに例えた慣用表現である。
子どもの頃に帰って思い出すと、欲しいものがあるとしつこく「買って」を繰り返し、仕舞いには泣いて駄々をこね、根負けした親が、その品を買うことになるシーンはよく見た。特に男の子に多い。
「色気より食い気」色欲よりも食欲が先決であることのたとえ。また、表面よりも中身を重んじることのたとえ。
外見をきれいにして異性の気をひく恋愛よりも、おいしいものを食べたい気持ちのほうが強いことから。
転じて、外見上のことよりも実益を気にするという意味でも使われる。
「彼女はいつも色気より食い気で、さっぱりボーイフレンドができない」などと言う。女性は見かけより現実的なことは確かだ。
「曰く言い難し」孟子の言葉で弟子の公孫丑(こうそんちゅう)から「浩然の気とはどういうものですか」と問われた時の答えの言葉「敢えて問う、何をか浩然の気と謂うと、曰く、言い難し」からきている。たやすくことばでは言い表せない。簡単には説明しにくいということ。
何かにつけて、そこのところは「曰く言い難し」と言い逃れた記憶がある。
「鰯の頭(かしらとも読む)も信心から」鰯の頭のようなつまらない物であっても、神棚に祀って信心すれば、有り難いと思うようになることから。昔、節分の夜に鰯の頭を柊の枝に刺して門口に飾っておくと、鰯の臭気が邪鬼を追い払うといわれていたことからできた言葉。
何かを頑固に信じきっている人をからかうときにも使われる。
私のHPの「八百万の神(やおよろずのかみ)」神道(しんとう)で数多くの神々の存在を総称していうもので、実際の数を表すものではない。文献上の初見は『古事記』上巻の「天(あま)の岩戸」の段にある「八百万神、天(あめ)の安(やす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて」である。
鰯の頭まではいかないが、すでに結構な数の神様を紹介している。古事記にある神様はそろそろ底をついたが、それ以外にも歴史上の人物を祀った神社が多数ある。 次回に続く。
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