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kiji

2021.11.19 諺集に見るわが人生(37)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「う」から始めて、回顧していくことにする。(「」の前後の句読点は省略)
 「魚心あれば水心」魚に水と親しむ心があれば、水もそれに応じる心がある意から。相手が好意を示せば、自分も相手に好意を示す気になる。相手の出方しだいでこちらの応じ方が決まること。水心あれば魚心。本来の「魚、心あれば、水、心あり」を、魚心、水心とそれぞれ一語に誤ったもの。私は下心とばかり思っていたがもっと戦略的意味があったようだ。
 「魚の水を得たるが如し」魚の水を得たるが如しとは、離れることのできない親密な交際や、間柄のたとえ。また、苦境から脱して、またはその人にふさわしい場所を得て能力を発揮し、大いに活躍することのたとえ。
 三顧の礼を尽くして諸葛公明を迎えた劉備が、彼らの交際に不満を募らせる関羽や張飛に対して言った言葉から「狐の孔明有るは、猶魚の水有るがごときなり。願わくは諸君復言うこと勿れ(自分にとって孔明がいることはちょうど魚にとって水があるように欠くことができないものだから、諸君はもう何も言わないでくれ)」職場などで配置転換した途端やる気を出して実績を上げるなどの例は多く見かける。類義は沢山あり、次のようなものがある「餅は餅屋。馬は馬方。酒は酒屋に茶は茶屋に。田作る道は農に問え。病は医者歌は公家」
 「魚の目に水見えず、人の目に空見えず」あまりに身近にあるものは、そのものの存在や価値が分からないということのたとえ。魚の周囲にいつでもある水や、人間の周囲にいつもある空気が見えないという意から。
 出典(『埤雅』(ひが)は北宋の陸佃(りくでん)によって編集された辞典。全20巻)には「竜、石を見ず、人、風を見ず、魚、水を見ず、鬼、地を見ず」とある。確かに身近にあるものには気を配らない傾向があり、それが諍いの元になったりする。 次回に続く。



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