2021.11.23 諺集に見るわが人生(38)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「う」から始めて、回顧していくことにする。(「」の前後の句読点は省略)
「浮き沈み七度」長い人生の間には、好調なときも不調なときもあるということ。「浮き沈み」は栄えたり衰えたり、「七度」は何度も繰り返されるという意。浮き沈みが何度も起こるという喩え。ケチなわが人生においても大波小波様々な浮沈を繰り返し今日がある。長い人生とは当時の感覚では60歳ぐらいだろう。今の人は70歳ぐらいまで働くから、7度どころではないだろう。
「憂き身を窶(やつ)す」tutitatu.com/によれば、この諺は、単純に熱中を指す時もあれば、やや穿った物言いも込められているので扱いがやや難しく、実際に口走る時は注意が必要。
「憂き身をやつす」の意味は以下の通り。
(1)痩せ細るほど一つの事に熱中する。
(2)無意味、無価値な事に夢中になる。
(3)悩みなどでやつれる事から、それぐらい物事に熱中する様子。
(4)外見に辛さが出る程の苦労。
「憂き身をやつす」は、他人から見れば無意味な事に熱中する様子を表現した諺。どんな事も、当の本人以外はあまり意味がないので、要するに何かに熱中・夢中になれば大体が当て嵌まる。よって、人それぞれ違いもあるが、多少は含みを持たせた言い方であり、受け手としては素直に喜べない言葉でもある。もちろん、場合によっては純粋に驚嘆や感心も込めている事もあるが、多くの場合では「なぜそんな事をするの?」というニュアンスが感じられる諺である。確かに他人から見れば「何を馬鹿なことをしているか」ということを、本人はマジで打ち込んでいるケースはよく見かける。
「浮世は回り持ち」幸不幸、栄枯盛衰、苦楽、貴賤、貧富などは人から人、家から家へと移っていって、決して一か所にとどまっていないということ。
(類義)「禍福は糾(あざな)える縄の如し」人生をより合わさった縄にたとえて、幸福と不幸は変転するものだという意味の故事成語。
不幸を嘆いていると、いつの間にか幸福となり、幸福を喜んでいると、また不幸になる、ちょうどそれは「より合わせた縄のように表裏が交互にやってくる」ということを表している。「史記」南越伝から.
こちらの方が的を得た諺のように思える。人はこのようなルールに縛られて一生を過ごすものだ。 次回に続く。
この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
2013年の記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.