2021.11.6 諺集に見るわが人生(33)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。(「」の前後の句読点は省略)
「井の中の蛙大海を知らず」有名な諺で出典は『荘子』「井蛙(せいあ)は以って海を海を語るべからずとは、虚に拘(とど)めらるればなり(井の中の蛙に海の話をしてもしかたないのは、蛙が井戸という狭い居場所にとらわれているからだ)とある。知識や見分の狭いことのたとえ。世間知らず。類義の諺に「足の髄より天井を覗(のぞ)く。夏の虫氷を笑う」などがある。
自分の取った行為が大局を見失っていたことに気づき後悔した経過がある。なかなか先の見通しを立てるのは難しいものだ。
「医は仁術」医術とは慈しみの心で病人を治療する術であり、損得にとらわれるものではないということ。今回のコロナ禍において我が身を振り返らず診療に専念した多くの医者や看護師、介護士には本当にご苦労さんと言いたい。幸い昨今は感染者数も激減しており、やっと一息つかれたことだろう。その陰で「医は算術」と皮肉った諺もある。
「葦編三絶(いへんさんぜつ)」これも一発変換できたからかなり知られた諺なのだろう。私には縁のない内容なので今回まで知ることはなかった。その意味は「何度も書物を熟読すること。また、熱心に勉学に励むことのたとえ」史紀によれば、孔子が晩年に「易経」を愛読し、繰り返し読んだため綴じてあるなめし革の紐が何度も切れたという故事から。現代は紙に変わりパソコンのノート機能を使うからそういうことはないが、紙の本とデジタルの文字では味わいが異なる。紙の本には愛読書としての愛着もあるだろう。今でも教会の牧師は古びたバイブルを片手に日々過ごしているに違いない。
「居仏が立仏を使う」座っている者が立っている者に用事を頼むこと。有名な諺でズバリ「立っている者は親でも使え」 次回に続く。
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