2021.7.16 諺集に見るわが人生(4)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」から「秋」から始めて、回顧していくことにする。
人の人生を四季に例えれば我が年代は秋または冬に相当する。大体想像がつくとは思うが、下り坂の兆候を示す。
「秋の入り日と年寄りは、だんだん落ち目が早くなる」私は初めて目にするが、読んで字の如し。
「秋の日は釣瓶落とし」この諺は良く知られている。秋の日が急速に暮れる様子を表したもので、秋に日は井戸の中へつるべ(釣瓶・釣る瓶『つるべ』とは、井戸において、水をくみ上げる際に利用される、綱等を取り付けた桶などの容器をいい、後に、それを引き上げる天秤状の釣瓶竿や滑車など機構の一切を指すようになった)を落とすように一気に沈むことを喩にしたもの。
次は「諦めは心の養生」失敗や不運は、思い切ってあきらめるのが精神的によいということ。精神的によいと分かっていても結構引きずるものである。
「悪法もまた法なり」これは古代ギリシャの哲学者ソクラテスの言葉として伝えられている。このコロナ禍において政府は飲食店に関する取り締まり法案で大揉めして、結果詫びて撤回するという醜態をさらしている。現下のような緊急事態時には誰もが納得できるような法案など野党ですら出せないだろう。こういう時は腹を括って「悪法も法なり」を実践してはどうか。
「挙げ句の果て」少々耳に痛いことわざだが、挙げ句とは俳諧では七、七の句でとどめの句である。その意とするところは「結果、結局。紆余曲折を経て、その結果。あまり好ましくない結果に至った場合に用いることが多い」とあり、先程の諺の行く末を指しているようなものだ。
「上げ禅(に)据え膳」何から何まで女房任せの私のような 不精者の天国。その先は地獄まっしぐらを覚悟せねばなるまい。
「顎で背中を掻く」到底できないことをいう。私は背中にポチポチができていて時々痒くてたまらない時がある。そこで伸び縮みする孫の手を購入して掻いている。そうするとかえってかゆみが広がって収まりが付かなくなる。次回に続く。
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