2021.7.9 諺集(さ行)に見る人生(2)
今回は諺集(主にさ行を中心に)から選んで、自分の人生に準(なぞら)えて、回顧してみた。
諺というものはwikipediaによれば「ことわざ(諺)は、鋭い風刺や教訓・知識などを含んだ、世代から世代へと言い伝えられてきた簡潔な言葉のことである。俚諺(りげん)ともいう。ことわざは、観察と経験そして知識の共有によって、長い時間をかけて形成されたものである。その多くは簡潔で覚えやすく言い得て妙であり、ある一面の真実を鋭く言い当てている」とあるように、自分が生活して来た上でも「さ行」だけで、1回分のコラムを書く作業の骨格を成しているから驚く。
先ずは「歳月人を待たず」という諺だが「時間は人の都合とは関係なしに刻々と過ぎていくものであり、人を待ってくれることなどないという意味」で「盛年重ねて来たらず、一日再びあしたなり難し、時に及んで当に勉励すべし」というように結んでいる。私などはたいしたこともせず、ただただ年を取っている。これを「馬齢を重ねる」などという。
「去る者は日日に疎し(うとし)」という諺なども実感として、最近とみに感じることで、親しい知人と永久(とわ)の別れをし、暫くは哀しみが続くが、時の流れがいつの間にか癒してくれる。この諺の意味は「死んた人は、月日がたつにつれ次第に忘れられるもの。親しかった者でも、遠ざかれば次第にその人への情が薄れるもの」ということで、もしそうでないと悲しみは日々重なり精神的に持たないことになるだろう。この諺の由来には「来たる者は日に以て親し」と続きがあり、日々顔を合わせている内に親しくなるものだとしている。
次の諺は何かほのぼのする「三人寄れば文殊の知恵」で、これは「凡人がひとりで考えても、良い考えや案は浮かばないが、三人集まって相談することで、文殊菩薩という知恵を司る神様のようなよい知恵が出るということ」と最大限の褒めようだが、文殊菩薩のような神様の助けがないと、それほどの知恵は出ないだろう。これは「 苦しい時の神頼み」と同じで神様・仏様頼りと言っても的外れではない。
人生いろいろ経験を積むと用心深くなる。これを諺で言うと「触らぬ神に祟りなし( 神様と関わりをもたなければ、神様の祟りを受けることはないという意)」が相応しい。この語源は「しなくてもいい余計な手出しや、ロ出しは控えたほうがいいというたとえ」で「亀の甲より年の劫( こう:きわめて長い時間)」がモノを言う。
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