日常細事2021pre


kiji

2021.9.13 諺集に見るわが人生(19)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「い」から始めて、回顧していくことにする。
 「板につく」態度や服装などが地位にぴったり合っているさま。「板」は芝居の舞台の意。役者の芸が舞台にぴったり合うという意から。私は歌舞伎の世界は知らない。一度も見たことが無いから。それでもその世界では大体世襲で幼い時から舞台(板)の上で厳しい修行をする。一歩一歩の足にも型があるにちがいない。それが寸分違わぬようになると多分「板につく」のだろう。今巷では総裁選の前哨戦が火花を散らしている。政治家の地位の最上位が総理である。果たして選任された政治家がその器にぴったりと収まるならそれは板についたことになるのだろう。私には不相応な諺である。
 「 一衣帯水(いち-いたい-すい)」一筋の帯のように、細く長い川や海峡。転じて、両者の間に一筋の細い川ほどの狭い隔たりがあるだけで、きわめて近接しているたとえ。▽「衣帯」は衣服の帯。細く長いたとえ。「水」は川や海などをいう。言葉の組み合わせは「一、衣袋、水」のように区切る。
 「一衣帯水」の由来は、李延寿が著した『南史・陳後主紀』にある「我為百姓父母、豈可限一衣帯水、不拯之乎」という一文。読み方は「我、百姓の父母たるに、あに一衣帯水を限り、これを拯(すく)わざるべけんや」で、現代の日本語に直すと「私は民衆の親の立場にある、あのような細い川で隔てられているからといって、その民を救わずにいられようか」となる。
 この故事は「中国の南北朝時代、南朝の陳は第5代皇帝・後主の圧政により民衆が困窮していた。それを見かねた北朝の髄の皇帝である文帝が、南下して陳に攻め入ることを決意した際に語ったとされる言葉が「一衣帯水」である。
 私はこの諺を見たことはあるが、その意味は知らなかった。こんな国家的問題に対処する時に使われるとは思ってもいなかった。日本では「対日平和条約に対しては、まだ多くの未調印国家、未批准国家があり、特に一衣帯水のソ連並びに中共との間には戦争の状態が残っておるのであります。(浅沼稲次郎『浅沼稲次郎の三つの代表的演説』)」この諺が引かれている。未だにこの国際問題は解決を見ていない。次回に続く。




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