2022.1.14 諺集に見るわが人生(49)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「う」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「旨い事は二度考えよ」旨い話には、思わぬ落とし穴があるから、よく検討し慎重に行動せよという戒め。私の元にもメールで怪しい内容のものが届けられる。題名だけでこれは詐欺だと分かるので、直ぐにゴミ箱に放り込んでしまう。この手の詐欺はフッシングなどとよばれるもので、大手のクレジット会社の名前を騙り、言葉巧みにIDやパスワードを盗む手口で大きな被害が出ている。非常に巧妙でつい引っかかってしまうからである。電話でのオレオレ詐欺も似たような手法で金を引き出させる手口である。
これらはいずれも嘘に始まる。「嘘つきは泥棒の始まり」(45号)の代表的な手口なのでご用心、ご用心。
「馬から落ちて落馬する」重言(じゅうげん)意味が重なっていることに気づかずに同じ意味の語を重ねていう言い方。落馬はそもそも馬から落ちる意味だから、誤用である。重言は意味を強調したり語調を整えるため、あるいは理解を確実にさせるために、修辞技法として用いられる場合もある。二重表現、重複表現ともよばれる。例えば「びっくり仰天」「むやみやたら」「好き好んで」などは、意味の重複が語呂のよさをともなうことからあえて用いられる。
日本語の重複(重言)には「頭痛が痛い・満天の星空・学校へ登校する・電車に乗車する・アメリカへ渡米・あとで後悔する」などを上げることができる。
また、重言のようで重言でないものには
歌を歌う-「歌」と「歌う」は意味が異なる。
数を数える-「数」と「数える」は意味が異なる。
音楽を楽しむ-「音楽」の「楽」はこの場合「かなでる」という意味のため。
などがある。
「馬の耳に念仏」馬の耳に念仏とは、人の意見や忠告に耳を貸そうとせず、少しも効果がないことのたとえ。
馬に念仏を聞かせても、そのありがたみがわからないことから。その為、無意味なことという意味も併せもっている。「馬耳東風」ということわざが「馬の耳に念仏」のことわざの由来とされている。「馬の耳に念仏」の類義語には他にも「豚に真珠」「猫に小判」がある。
私などは頑固者で一徹だから、人の意見など「馬耳東風」と聞き流し。改めるところがないから、可愛くない年寄りと言えよう。
次回に続く。
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