日常細事2021pre


kiji

2022.2.17 諺集に見るわが人生(59)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「え」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「会者定離(えしゃじょうり)」会者定離 (えしゃじょうり)は、 日本 の 諺 。 出典は 遺教経 。 仏典のひとつである遺教経の文章が原典。 日本では 四字熟語 として有名だが、本来は「生者必滅会者定離」でひとつの意味をなしている。 命あるものは必ず死に、出会った者は必ず別れることになるという意味(Wikipedia)。
ずしんと胸に響く言葉である。出会った者の多くがもうこの世にはいない。
 「海老で鯛を釣る」少しの元手または労力で大きな利益を得ることのたとえ。えびたいなどと略しても通じる。 「鯛」は古くから高級魚として大切にされてきた魚。 一方の「海老」はいわゆる「小海老」を指す。
 つまり、「小さな海老で高級魚である鯛を釣りあげる」ということから。
 私は投資(株式とか)に興味がなく消費に金を使ったので「鯛」を釣ったことはない。
 「選んで粕を掴む(えらんでかすをつかむ)」選り好みをすると、かえってはずれを引いてしまうことのたとえ。私の場合は凝り性なところがあり、一つの物に拘り、そのために結果として役に立たないものを結構買い込んで失敗することが多い。それでも懲りない。
 「煙霞の痼疾(えんかのこしつ)《唐書田遊巌伝から》」自然の美や風物をこよなく愛(め)でること。隠居して自然とともに暮らすこと。(類義)煙霞の癖 (へき) 。「煙霞」は、もやとかすみのことから、自然の風物。山水。「痼疾」は、長く持病がなおらないこと。自然にこだわり、山水を愛でる気持ちを持病にたとえて言ったもの。中々難しい諺で変換に苦労した。
 人間年を取れば何らかの持病はあるものだが、そこで自然をこよなく愛するなどとは凡人にはできない業である。まだまだ修練することは多い。 次回に続く。





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