2022.2.20 諺集に見るわが人生(60)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「え」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「遠交近攻」は、中国前漢時代の歴史書「史記」の「范雎(はんしょ)列伝」。また、兵法書「兵法三十六計」の戦術の一つ第二十三計にあたる戦術。「遠きに交はり近きを攻む」と訓読し、「遠い国と親しくし近くの国を攻略する」という意味。日常生活ではまず使いどころがない言葉だが、国レベルでの外交戦略は確かにそのようなシステムが今でも生きている。
「遠親は近隣に如かず」血の繋がっている親類であっても、遠く離れて暮らしていれば行き来も少なくなり、情も通わなくなるもので、万が一急を要する出来事があった場合に助けられることはない。赤の他人であっても、自分の近くにいる人のほうが、かえって力になってくれるという意味。「遠い親戚より近くの他人」ともいう。私の住んでいる地域にも自治会があり、マンションには管理組合があって互助の精神が生活の安心・安全に繋がっており、遠くの親戚より頼りになる。
「遠慮は無沙汰」 遠慮もほどほどにしないと、かえって失礼になるということ。先方の迷惑を考え遠慮して訪問を控えると、ついご無沙汰をすることになり、礼を欠くことになるという意から。「遠慮が無沙汰」ともいう。私はここ数年年賀状だけ送り、訪問はしていない。気持ちは訪問したいのだが、会いたい会いたいと言葉だけが空回りしている。本当に礼を欠いていると反省している。
「遠慮ひだるし伊達寒し」遠慮したり、見栄をはったりするのもほどほどにせよということ。「ひだるし」はひもじいの意。食事をすすめられ遠慮して食べないとひもじいし、伊達をして薄着でいると寒い思いをするという意から。見えを張ってやせ我慢するのもいい加減にせよという戒め。
(類義)「伊達の薄着」伊達とは、粋に見せようとすること。洒落ていること。伊達政宗が派手な服装であったことからともいわれている。私も若い頃はTVの影響もあってこんな真似事もしたが、今となっては懐かしい諺だ。 次回は「あ行」の「お」から始める。
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