2022.2.26 諺集に見るわが人生(62)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「老いの一徹」老人の、いったん思い定めたことは必ずそのとおりにしようとするがんこな気質。有名な諺。私などもそういう気質が見られる。思い込んだら押し通す。ただし思い込むまでには自分の経験を総動員して考えを巡らすようなことはする。大体どこの老人も似たり寄ったりである。
「老いの学問」年をとってから物事を習う事。人は年を取れば身体的機能は衰えるが、精神や知恵の面では老化と共に学べることができるという医学的知見がある。「生涯発達理論」というもので、老化によって失うものを精神面や能力の円熟を補いながら、生涯成長を続けていくと述べている。記憶力は老化し、残留することが難しくなるが無くなる訳ではないので、学ぶことは例え90歳でもできるはずだ。歳をとることの豊かさ・奥深さを教えてくれている。
「往時渺茫(おうじびょうぼう)として都(すべ)て夢に似たり」過ぎ去った昔の事はもうはるかかなたの事で、とりとめがなく、まるで夢のように思えるということ。 「往時」は過ぎ去った昔のこと。 「渺茫」は遠くはるかで果てしないさま。出典は「白居易(白楽天)原文は往事渺茫都似夢
舊遊零落半歸泉
醉悲灑涙春杯裏
吟苦支頤曉燭前
・読み
往事は渺茫として都(すべ)て夢に似たり
旧遊は零落して半ば泉(せん)に帰(き)す
酔(ゑ)ひの悲しみ、涙をそそく春の盃(さかづき)のうち
吟の苦しみ、頤(おとがひ)を支(ささ)ふ暁燭(げうしよく)の前
・解釈
昔のことは果てしなく遠くなり、すべては夢のようだ。
昔の友達は落ちぶれて、半ばは黄泉(よみ)に帰ってしまった。
酒に悲しく酔っては、春の盃の中に涙をこぼし、
詩を苦しく吟じては、明け方の灯の前で頬杖をついている」
老いを詠んだ七言絶句の詩で心に響くものがある。 次回に続く。
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