日常細事2021pre


kiji

2022.3.18 諺集に見るわが人生(67)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「陸に上がった河童」陸に上がった河童とは、自分に適した環境から離れたときに、力を発揮できず無能になること。
 河童は頭の皿に水がなくなると死ぬと言われており、水中では自在に泳ぎ回ることができる河童も、陸へ上がればどうしようもなくなることから。 「陸」を「りく」と読むのは誤り。また「丘」「岡」と書くのは誤り。
 どんなに優れた人でも一つや二つは全く無能なものはあるものだ。私などは同じところを堂々巡りするような生活をしているから、いったん環境が変わると情けない状態になること間違いなし。
 「置かぬ棚を探す」体裁を取り繕うため、あるはずのない物を探すたとえ。棚上げにする (たなあげにする) 問題の解決や処理を先延ばしにすること。この諺に一文字付け加え「置かぬ棚をも探せ」となると、念には念を入れて探せ、ということの例え。探し物が見つからないときは、絶対に置いたはずのない棚でも念のために探してみよということ。前者の諺は政治の世界ではよく見かける。後者は自分では置いたつもりの物が見つからず、ひょんなことから見つかることがある。まるでマジックの世界だが意外とよくある話である。
 「傍目八目(おかめはちもく)」《他人の囲碁を傍で見ていると、対局者よりも冷静に手が読める意から》第三者のほうが、物事の是非得失を当事者以上に判断できるということ。囲碁から出た語。碁をわきから見ていると、実際に打っている人よりも、八目も先まで手を見越すという意から。「岡目」は他人がしていることをわきで見ていること。「目」は碁盤の目の意。「岡」は「傍」とも書く。私は小学生の頃から父親が碁を打っているところを脇から見て碁を覚えた。親父は有段者ではなかったから、それほど上達する前に中学生になり囲碁に興味が無くなった。それでも何十年か後に碁盤に向かったときに打ち方は忘れていなかった。パソコン相手に囲碁を打ちたいと、AI囲碁なるソフトを購入した。これがアマチュア8台の棋力があるそうで、初段に設定して対戦したが中々勝てず、今は対局しない。根は負けず嫌いなのかもしれない。  次回に続く。




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