2022.3.25 諺集に見るわが人生(69)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「奥歯に物が挟まる」奥歯に物が挟まるとは、思ったことをそのまま言わないで、何か隠しているような言い方をすることの喩。
最近毎月のように歯医者にかかる。歯が老朽化しているためで、歯茎も痩せてものが挟まるようで、これが中々取れない。気になるものである。実際そんな状態で話をすると滑舌(かつぜつ)が悪くなる。だがこれは別に隠し事をしているわけではない。国会答弁などではこの諺が生きるかも知れない。
「噯(おくび)にも出さない」物事を深く隠して、決して口に出さず、それらしいようすも見せない。おくびにも見せない。私も家族関係においてはこうしたことはしばしばある。いらぬ諍いのもとになることがあるからだ。
「臆病(おくびょう)風に吹かれる」臆病な気持ちになる、怖気づく、怖くなってくる、という意味で用いられる表現。「臆病風に誘われる」「臆病風が立つ」「臆病神がつく」ともいう。子どもの頃は年中臆病風に吹きまくられたものだ。肝試しなど足がすくんで動けなかった。不思議なもので年をとる毎に怖いものがどんどん減っていった。子どものはお化けや幽霊の話を聞かされて記憶に刷り込まれて、それが臆病風の発生源になっていたのだろう。
「奥山の杉のともずり」自分の行為がもとで、自分自身が苦しむことのたとえ。自業自得のこと。奥山の杉の枝と枝とがすれ合って、自然発火して山火事を出すこと。あまり聞かない諺だが「奥山の杉」など何となく雅な表現で、自業自得を弁解するのには都合がよさそうな諺だ。
「送る月日に関守なし」月日の流れをさえぎる関所の番人などはいないのだから、止めることはできないということから。年月の過ぎるのは、早いものだということのたとえ。(類義)光陰人を待たず。光陰矢の如し.一刻千金。一寸の光陰軽んずべからず。と類義の方がよく聞く話。私は77歳で隠居生活に入ったが、それからの月日はまさに光陰矢の如しで過ぎている。今は昔を思い出すことが多い。
次回に続く。
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