2022.3.28 諺集に見るわが人生(70)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「屋漏に愧じず(おくろうにはじず)」たとえ人が見ていない場所でも、人に知られて恥じるような行いはしないということ。「屋漏」は家の一番奥まった所、または人目につかない所の意(詩経大雅・抑から)。
こういう行為は意外と誰でも経験があるのではないだろうか。それほど人はストイックな生活を続けることはできなものだ。
「驕る平家は久しからず」鎌倉時代に書かれたとされる「平家物語」の冒頭部分「祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし」が由来。
栄耀栄華を朧めた平家は「平家にあらずんば人にあらず(平家でなければ人でないの意味)」と思いあかっていましたが、その天下も長くは続かなかった。。
どんな事でも順調にいっている時や勢いが盛んな時、人はつい傲慢になってしまうのでそんな時ほど慎むべきという戒め。
源平合戦勝利の分かれ目、壇ノ浦の戦い(だんのうらのたたかい)は平安時代の末期の元暦2年/寿永4年3月24日(1185年4月25日)に壇ノ浦(現在の山口県下関市)で行われた戦闘。栄華を誇った平家が滅亡に至った治承・寿永の乱の最後の戦いである。
「平家物語」では、壇ノ浦の戦いは海上戦だったため海を熟知した平家軍が戦いを有利に進めた。だが潮の流れが反転し、義経軍は乗じて猛攻撃を仕掛けた。平氏の船隊は壊乱状態になり、やがて勝敗は決した。『平家物語』は、敗北を悟った平氏一門の武将たち、女性たちや幼い安徳天皇が次々に自殺してゆく、壮絶な平家一門滅亡の光景を描写している。安徳天皇と共に海の藻屑と消えた天皇家に伝わる三種の神器については、その内神鏡と勾玉は浮かび上がり源義経軍に回収されたと伝えられている。残る宝剣は発見されることはなく、海の藻屑と消えたという。 次回に続く。
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