2022.3.31 諺集に見るわが人生(71)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「教うるは学ぶの半ば」人に物を教えるということは、生半可な知識や教養では教えられない。 自分の知識のあいまいなところを、はっきりとさせて、その後でなければできない。 したがって、自分の勉強にもなることをいう。
私は定年後パソコンの知識を生かす職業に就きたく、伝(つて)でインストラクターの道に入った。予想だにしなかった茨の道が待ち受けていた。知っていることと教えることは別物だということを身も持って知った。対面で人に教えるのは教本だけを頼りにして行くのでは相手に記憶づけるのは難しい。優秀な生徒は自分で考える。そうでない生徒はマンツーマン指導が必要で、それには経験が大切で、自分の知識もそれなりに広げていかなければならない。この仕事はパソコンが無いとできない。学校にとっては機種変更には大きな投資が必要で、結局この講座は私が5年ほど従事して廃止になりインストラクターの仕事は終わった。75歳の時だった。
それからは自分のホームページ作成が仕事のようなもので、最初は独特な言語を使うのに苦労し、それをマスターし最初のバージョンが生まれた。学ぶことに終わりはない。
「恐れ入り谷の鬼子母神」ということわざは「恐れ入りました」という意味で用いられるしゃれ言葉のこと 。 「しゃれことば」とは、語呂合わせなどで人を笑わせる気の利いた言い回しのこと。 このことわざは、恐れ入った気持ちを冗談めかして表現したいときに用いられる。「鬼子母神」は、出産・育児の神で、その鬼子母神を祭る東京都台東区入谷と「恐れ入りやした」の「入りや」をかけていったもの。
しゃれ言葉には、フーテンの寅さんの得意のセリフ「見あげたもんだよ、屋根やのフンドシ、たいしたもんだよ、カエルのションベン」などしゃれだけに面白い(犬が白けりゃ尾も白い)。 次回に続く。
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