2022.4.14 諺集に見るわが人生(75)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「同じ釜の飯を食う」他人ではあるが、生活を共にしたり、同じ職場で働いたりして、苦楽を分かち合った親しい間柄のたとえ。「一つ釜の飯を食う」とも。今はあまり聞かないが、戦争の時代には同じ小隊の戦友などはこういった関係にあったことだろう。今でも数十年も同じ職場で定期的に会合の場を持つ仲間がいるが、まさに同じ釜の飯を食う関係である。
「鬼が住むか蛇が住むか」世の中には、どんな恐ろしい人が住んでいるのかわからないこと。また、人の心の底はどんな考えがひそんでいるのかわからないことのたとえ。思いがけない事や、意外な人に対して使うことわざ。「鬼」も「蛇」も、恐ろしく不気味なものをあらわしている。あまり自分の身辺ではこういうことは体験しないが「触らぬ神に祟りなし」のことわざにあるように避けて済ませたものだ。
「鬼に金棒」強いものが何かを得て、さらに強くなることのたとえ。元々強い鬼には素手であってもかなわないのに、鉄の棒まで加わったらますます強くなって立ち向かうことなどできないことから、強いものが良い条件を得て更に強くなることをいう。
「鬼に金棒、弁慶に薙刀」と続けていうことも。『江戸いろはかるた』の一つ。今多くの人が注目している大谷翔平選手の二刀流などはこういう表現に似合う。
「鬼の居ぬ間に洗濯」こわい人やうるさい人がいない間に、くつろいで息抜きをすることのたとえ。主人や監督する者など、こわい人やうるさい人がいない間に、のんびりくつろいで気晴らしをすることをいう。
「鬼」は怖い人、「洗濯」とは命の洗濯の意味で、日頃の苦労や束縛から解放されて気晴らしを楽しむこと。よく分かる。実によく分かる。 次回に続く。
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