日常細事2021pre


kiji


2022.4.20 諺集に見るわが人生(77)
 今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
 「帯に短し襷(たすき)に長し」「中途半端で役に立たないものやその状態のこと」を指すことわざ。 ある布の長さについて、「着物の帯に使うには短くて長さが足りない。 かといって襷として使うには長すぎる」と、"どっちつかずの状態"を示している。
 「役に立たない」「使い道がない」と、中途半端な状況を比喩的に表現している。帯と襷の中間の長さである3m前後が「帯に短し襷に長し」の長さで、帯と襷いずれの用も足すことができない中途半端なもの。類語に「あちらを立てればこちらが立たず」がある。2つのものがあった場合、双方を満足させる解決策がなく板挟み状態になることを指す。こちらの方がよく使われる。いずれにしても中途半端は厄介だ。
 「思し召し(おぼしめし)より米の飯(めし)」「召し」と「飯」をかけたしゃれで、同じ「めし」なら、口先だけの好意を示す「召し」よりも米の「飯」のように実際に役立つものの方が有り難いという意味。類語に「同情するなら金をくれ」がある。これなどは頻繁に使われるジョークのようなもの。
 「溺(おぼ)れる者は藁(わら)をもつかむ」溺れそうになっている人は、麦藁のように頼りないものであっても、永らえようとして頼ってしまうというたとえ。
 危急の時にあっては、普段なら取り合わないような、頼りないものにでさえ、助けを求めてしまうものである。または、そのようなものにまで、助けを求めてしまうような危急の状態にあること。このたとえはよく目にする方である。コロナ禍でストレスのたまった人たちはワクチンなどの予防接種は普段では見向きもしない人でも積極的に受ける。これなど罹患しないように願う人たちにとって藁のよう存在なのかもしれない。ウクライナのゼレンスキー大統領の世界中に対する演説なども、藁にも縋るような切なる願いに聞こえてくる。 次回に続く。




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