2022.4.29 諺集に見るわが人生(80)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「親の心子知らず」親が子を思う気持ちは通じにくく、子は勝手な振る舞いをするものだということを意味する ことわざ。
また、「自分が親になってはじめて、親の気持ちを理解することになる」という文脈で使われることもある。
このことわざが使われるのは、親子関係のみに限定されるものではなく、 親子と同じように親しい間柄で、かつ、上下関係が存在する人同士にも使う。家庭問題の多くはこのような親子関係や夫婦関係の祖語によって発生する。
それは殆ど不可避なこととも言えよう。
「親の脛をかじる」子どもが経済的に自立することができずに、親に援助してもらうこと。私の場合はかじるべき脛が早くして亡くなったので、かえって自立するまでの時間は長くかかった。親の脛をかじれるものはそれだけ果報者ともいえる。
「親の目は贔屓目(ひいきめ)」自分の子供の可愛さから、子供の欠点が目につかなくなってしまい、子供の良い面しか目に入らないという意味。可愛さのあまり子供の欠点が目につかなくなってしまう親が多い。「親の欲目」ともいう。類語に「親バカ」や「親の甘いは子に毒薬」などがある。何れも親は子に対してはスパルタ教育などは虐待扱いされるから、甘くなることは仕方のないことだ。
「お山の大将俺一人」低い盛土などのどの頂上に競争して登り「お山の大将俺一人」と言って互いに他の者を突き落とす子供の遊びから生まれた言葉。小さな集団や限られた世界の中で頭となり、得意になっている様子。実際には体験したことはないが、子どもの頃には近所の子どもたちの集団には必ず「餓鬼大将」がいてリーダーシップを発揮していたものだ。私はいつも子分だったけど。 次回に続く。
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