2022.4.8 諺集に見るわが人生(73)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「あ行」の「お」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「お茶を濁す」その場しのぎでいい加減なことをいったり適当なことを言って、取り繕おうとしたり、ごまかしたりすることを意味する言葉。言葉の語源・由来にはいくつかの説があるが、主なものとして、ひとつは茶道の作法からきている「ここでの『お茶』は緑茶や紅茶ではなく抹茶のことをさしている。抹茶を点てるためには茶道の知識が必要である。茶道の作法を知らない人が見様見真似でお茶をかき混ぜても、ただ濁るだけでうまく点てることはできない。ここから、その場しのぎでごまかしたりいい加減な言葉で取り繕ったりすることを意味する『お茶を濁す』ということわざにつながったと言われている」
一般的に中途半端な言葉でその場を取り繕いうことなどはよくあることだ。物事に明確な判断を示すことなど土台無理な話なのかもしれない。はっきりした物言いにはそれなりの覚悟が必要だ。
「落ちれば同じ谷川の水」出発点は違っていても、行き着く先は同じだということ。また、人間も身分や貧富の差があっても、死ねば同じ土になるというたとえ。雨・霰(あられ)・雪など形はさまざまであるが、地上に落ちてくれば同じ谷川を流れる水になるという意から。語源は「雨霰雪や氷と隔つらん落つれば同じ谷川の水」という和歌(一休さんの詠んだ歌とされてる)からきている。確かに韻を踏んでいて使いたくなることわざである。
「踊り三人見手八人」実際に物事を行う人よりも、傍観者の方が多いことのたとえ。踊る人よりも見物人の方が多いことから。私などは踊りの輪に入るよりいつも見物人で済ましている。コロナ禍で長い間家に蟄居しているせいか、ニュースウォチッに専念し、自分で意見を語ることなどない。野次馬根性が染みついている。 次回に続く。
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