2022.5.11 諺集に見るわが人生(83)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「飼い犬に手を噛まれる」「日頃かわいがっていた者から、思いがけない裏切りを受けること」を意味。「飼い犬に手を食われる」や、「手飼いの犬に手を食わる」と言うこともある。 このことわざを使う際に注意するべきなのが、誰について話しているのか、ということだ。親しくしてきた部下に裏切られることなどはよくあることである。何らかの形でこういうしっぺ返しを受けることは誰でも経験したことだろう。「犬は3日飼えば三年恩を忘れない」ということわざはこれの対義。
「会稽の恥(かいけい)」「他人から受けた屈辱的なはずかしめ」を意味する 。 「会稽の恥」ということわざは、もともと「戦いに負けた屈辱」を意味していた。 この意味が転じて、「それまでに受けたことがないほどの恥」や「他人から受けた屈辱的なはずかしめ」を指すようになった。 「あいつには 会稽の恥 を受けた。 もう絶対に許さない。 前回受けた 会稽の恥 を晴らすためにも、より一層練習に励まなければいけない。 これまで必死に努力してきたのだから、絶対に 会稽の恥 を雪 (すす)ぐことができるに違いない」などと使う。子どもの頃ひどいいじめを受けたその屈辱感は未だに癒えない。
脚注:「会稽」は、中国の浙江省にある山の名で、春秋時代に呉と越が戦った場所。
『史記しき』越によれば、中国春秋時代、越王勾践(こうせん)は会稽で呉王夫差ふさと戦って敗れた。そのときにさまざまな恥辱を受けたが、のちに苦労して夫差を打ち破り、その恥をすすいだ。
「鎧袖一触(がいしゅういっしょく)」相手をたやすく打ち負かしてしまうたとえ。弱い敵人にたやすく一撃を加えるたとえ。鎧よろいの袖そでがわずかに触れただけで、敵が即座に倒れる意から。▽「鎧袖」は鎧の袖。「一触」はほんの少し触れること。出典に源為朝の言葉として「清盛輩の如きに至りては、臣が鎧袖一触、皆自ら倒れんのみ(平清盛らの連中に至っては、私の鎧の袖がちょっと触れただけで皆自然に倒れてしまうだけだ)」とある。そこから、「簡単に勝てる」「たやすく打ち負かす」というような意味で使用されるようになったとされている。 次回に続く。
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