2022.5.23 諺集に見るわが人生(87)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「掛(懸・駆)かるも引くも折による」敵に攻めかかるにしても退却するにしても適当な時機があるという意味で、物事を始めるのもやめるのもふさわしい機会をつかむことが大切だということ。折しもウクライナの戦況は混迷を極めている。一日も早い停戦の時期を決めなければならない。
「河漢(かかん)の言」(荘子「吾その言猶なお河漢のごとくにして極まり無きに驚怖せり(私にはその話が天の川のように果てしなく続くように思われ、恐ろしくなった)」言説が大げさで現実離れしていること。言葉が果てしなくとりとめのないこと。遠い空にある天の川のように、漠然としてとらえどころのない言葉の意から。河漢は天の川。黄河と漢水とを差すとも言われる。あまり使われることない諺だが、けっこう言を左右して人を煙に巻く人はいるものだ。
「鍵の穴から天を覗く」鍵の穴のように小さいところから天を見ても、ほとんど見えないということから、狭い見識しかないのに、大きな問題について考えること。上方いろはがるたにある。(類義語)葦(よし)の髄から天井を覗く・鍵の穴から天を覗く・井の中の蛙大海を知らず。
例文として「聞きかじっただけの知識で全体を批判するなんて、葦の髄から天井を覗くようなものだ」というのが上げられている。
「蝸牛角上の争い」(かぎゅうかくじょうのあらそい)《「荘子」則陽の、かたつむりの左の角 (つの) にある国と右の角にある国とが争ったという寓話から》小さな者同士の争い。つまらないことにこだわった争い。(類義) 蝸牛の角の上に何事をか争う/コップの中の嵐/蛮触の争い。この世はこうした争いがいたるところで起こっている。人の業(ごう:仏教用語で、欲深さ、運の悪さ)なのかもしれない。 次回に続く。
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