2022.6.6 諺集に見るわが人生(91)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「嘉肴(かこう)ありと雖(いえど)も食(く)らわざればその旨(うま)きを知らず」(礼記)いくらおいしいごちそうがあっても食べてみなければそのうまさはわからないの意から。聖人のりっぱな道も学ばなければそのよさがわからないことのたとえ。まず実践することの必要を教えたもの。また、大人物も実際に用いなければその器量を知ることができないことのたとえ。(補説)出典では、この後に「至道有りと雖も、学ばざれば其の善きを知らざるなり(聖人の立派な道も、それを実際に学んで身につけなければ、その真価は分からない)」と続く。
私は学ぶの多くを書籍から得てきた。読書は趣味でもあった。しかし、最近は積読ばかりで、読みかけの本が山を成している。その上kindleといってネットで視る書籍も多く購入しており、それもつまみ食いの有様で余生を考えても、読み切れない。従って立派な教えも少しも身につかないままで終わりそうだ。
「駕籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」駕籠に乗る裕福な身分の人もあれば、その駕籠をかつぐ人もいる。さらに、その駕籠かきの履くわらじを作る人もいる。世の中には貧富の差があり、さまざまな境遇の人がいることのたとえ。また、それぞれの立場の人の持ちつ持たれつの関係で社会が成り立っていることのたとえ。まことにごもっともなご説である。HP[江戸の職人」第1話で草鞋屋について紹介している。江戸の職人たちや現在の職人社会もそれぞれが横に繋がり、持ちつ持たれつの関係で結ばれていることに変わりはない。
「貸した物は忘れぬが借りた物は忘れる」 自分が人に貸した物はいつまでも忘れないが、人から借りた物はつい忘れてしまう。人間というものは自分勝手なものだというたとえ。私も上下巻の本の上巻を貸したが返してもらわないまま相手が転勤し、そのままになってしまったが、今でも忘れない。これといって大切な本でもないのに、妙に気になるものである。 次回に続く。
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