2022.10.22 諺集に見るわが人生(131)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「北に近けりゃ南に遠い」あたりまえのこと、わかりきったことのたとえ。[類句]犬が西向きゃ尾は東/雨の降る日は天気が悪い/親父は俺より年が上など多数。
私は「犬が西向きゃ尾は東」を好んで使う。
「来る者は拒むこと勿れ、去るものは追うこと勿れ(春秋公羊伝)」自ら進んでやって来るものを拒んではならず、自ら去っていく者は引き留めてはならぬ事。相手の自由意志に任せることをいう。大体人間関係はそうした性格が強いものだ。
「吉凶は糾える縄の如し(きっきょうはあざなえるなわのごとし)」人間の幸福と不幸は、より合わせた1本の縄の表裏のように、交互に来るものである。災いが転じて福となり、福が転じて災いとなることがあるもので、人の知恵で計り知ることはできないというたとえ。
(晉の孫楚の「征西官属送於陟陽侯作詩‐吉凶如二糾纆一、憂喜相紛繞」による)「禍福は糾える縄の如し」と同じ。
確かに長く生きているとそういうことが実感できる。
「橘中の樂(きっちゅうのらく)」囲碁や将棋をする楽しみのこと。出典は「橘」は、タチバナ。昔、中国の巴邛(はきょう)の人が、庭にある大きな橘の実を割ってみたところ、中に二人の老人がいて、象戯(中国の将棋)を楽しんでいたという物語から。
私の子どもの頃は家の中で楽しむものといえば、カードゲーム(トランプ)や双六に始まり、少し大きくなると碁将棋に興じるようになった。このことわざは知らなかった。
「狐につままれる」「狐につままれる」の意味は、"意外なことが起こり、訳が分からなくなり呆然とする様"。事の成り行きが分からずに呆然とするなど、驚いたり、あっけにとられたりした様子を表す際に使う。きょとんとする・ぽかんとする、と表現するとわかりやすい。
「狐に摘ままれる」や「包まれる」は誤字、"抓まれる"が正解。
幼少の頃は年中「狐に抓まれていた」ものだ。 次回に続く。
この記事に関するご感想などを下記メールでお寄せください。comfree@papars.net
2013年の記事を閲覧するには日常細事のアイコンをクリックしてください。
©2013 papa's_pocket. All rights reserved.