2022.12.14 諺集に見るわが人生(146)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「綺羅星の如し(きらぼしのごとし)」立派な人や明るいものが、ずらりと並ぶ様子のたとえ。「綺羅、星の如し」からできた語で、「綺羅」は、美しい衣服の意。転じて、外見が華やかなこと、栄華をきわめること。本来「綺羅と星と」と、美しいものを列挙した語が、のちに誤って「綺羅星」と一語化された語になった。
鹿鳴館の時代を思い起こすイメージ。豪華な衣装を身に纏い美しく化粧した令嬢と軍服姿の若い士官が大広間でオーケストラがワルツを演奏する中、手に手を取り合って踊る姿が目に浮かぶようだ。
「義理と褌欠かされぬ」義理を欠いた(道理に外れた)行為はしてはならない。
「解説」男子が常にふんどしを身につけていなければならないように、義理を欠いては事は成せないと戒めることわざ。 または世の中を渡り歩く際、義理は欠かせないものであるということから。
「褌(ふんどし)の由来」男子の下着の一つ。越中褌,もっこ褌,六尺褌などの種類がある。古くは犢鼻 (たふさぎ) ,肌袴 (はだばかま) といい,幅の広い帯状のものであった。鎌倉~室町時代にかけては手綱 (たづな) ,江戸時代からは下帯,褌と呼ばれるようになった。褌の語源は「踏み通し」で,肌袴の着用には両足を踏み通したことに由来するといわれる。
私が幼少の頃、親父が褌姿(越中褌)でお袋に着物を着る手伝いをさせる姿をよく覚えている。
「桐一葉(きりひとは)」物事の一端から、全体の動きを察知することのたとえ。また、物事の衰退するきざしのたとえ。青桐は他の木よりも早く秋の気配を感じて落葉するため、青桐の落ち葉によって秋の到来を知る意から。
(由来)「淮南子 (えなんじ) 」説山訓から》桐の葉が落ちるのを見て秋を知ること。衰亡の兆しを感じることのたとえ。 「梧桐一葉落天下盡知秋」
青木橋の近くの「サカタのタネ」の裏側に「桐畑公園(きりばたこうえん)」という名の小さな更地の公園がある。文字が示すように入口に桐の巨木がある。私はよくソフトボールの壁投げをしに出かけたものだ。この山の頂上には青木橋の円覚寺がある。誰がいつこの裏山を削って公園にしたのかは不明であるが、1時間ぐらいのトレーニングの間ほとんど人が訪れない隠れた公園である。この公園の桐が落葉している様は記憶にない。 次回に続く。
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