2022.12.20 諺集に見るわが人生(148)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「き」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「義を見てせざるは勇無きなり」人として「何が正しい行動かを理解していながら実行しないのは、勇気がないからだ」を意味する言葉。「論語」の一節が語源となっており、漢文では「見義不爲、無勇也」と表す。
私は小さい時から臆病で、欄干の無い橋はすくんで歩けないといった塩梅だから、きっと今でも体を張ってまでして行動することは無いと思う。映画でもハイジャックやバスジャックの乗員の中で勇敢に立ち向かうのは一人で、その他は身動きできない設定になっている。
江戸時代には「敵討ち」助っ人は付き物で、「義を見て・・」と名乗りを上げて馳せ参じる者が登場する。
思うに武器の携帯(刀やピストルなど)が大きく行動に反映される時代があって、そこから生まれたことわざだろう。
(類義)「言うは易し行うは難し」
「木を見て森を見ず」木を見て森を見ずという言葉には、小さなディテールにとらわれ過ぎて、事件や事象の全体像を見失ってしまうことを示している。たとえば林の中に足を踏み入れたとき、近くの木の美しさや老木の切なさに心を奪われていると、森や山全体の良さや問題点が分からなくなるものだ。
(例文)ビジネスでは、目の前の小さな目標に取り組むことに必死になるあまり、全体の目標を見失う「木を見て森を見ず」の状況に陥ることがよくある(www.bing.com)。
確かに目先のことに捉われて、本筋を見失うことはよくある。人生長生きすると、過去を振り返り「あの時はこうすれば良かった」と悔やむことが多い。
「金科玉条」黄金や珠玉のように善美を尽くした法律や規則の意。 転じて、人が絶対的なよりどころとして守るべき規則や法律のこと。 現在では「金科玉条のごとく守る」などと用いて融通のきかないたとえとして用いられることもある。 ▽「金」「玉」は貴重なもの・大切なもののたとえ。
歌舞伎などの世界では、幼少の頃から鍛えられ、演技の一つ一つが「金科玉条」の連なりのように見える。中には成長してからその枠に反逆する役者もいる。如何に金科玉条を守るのが大きなストレスになることを証明している。 次回に続く。
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