2022.7.13 諺集に見るわが人生(102)
今回は諺集(新明解故事ことわざ辞典:三省堂)「か行」の「か」から始めて、回顧していくことにする。また諺からイメージできるものについても記述する(「」の前後の句読点は省略)。
「禍福は糾(あざな)える縄の如し」不幸を嘆いていると、いつの間にか幸福となり、幸福を喜んでいると、また不幸になる、ちょうどそれは「より合わせた縄のように表裏が交互にやってくる」ということを表している。「禍福」とは、「不幸と幸福・不運と幸運・災いと幸い」という意味。「糾える」とは、ひもなどをより合わせること。「如し」とは、「~のようだ」という比喩の意味。由来と語源は『史記』「南越伝」にある。司馬遷は戦国の戦いで、失敗を成功に変えた武将をたたえて、次のように述べた。原文「因禍爲福 成敗之轉 譬若糾纆」書き下ろし文「禍によりて福となす、成敗の転ずること、たとえれば糾えるぼくのごとし」
人生訓としての使い方で、物事が順調なときには油断しないように、おごる気持ちを戒める意味で、また物事がうまくいかないときは、気持ちを前向きにする意味で使うことができまる。一喜一憂したり、くよくよしたりしても仕方がない、という気持ちを表現している。(類義)人間万事塞翁が馬(にんげんばんじさいおうがうま)。「明日は明日の風が吹く(あしたはあしたのかぜがふく)」など。(TRANS.Bizより)
この人生訓は誰の人生にも当てはまる。5日前(7月8日)安倍元総理凶弾に倒れ死去した。これなどはあってはならない不幸である。
「画餅に帰す(がべいにきす)」計画などが実現できなくて、無駄に終わることのたとえ。「画餅」とは、絵に描いた餅のこと。「帰す」は、終わる、戻るの意。
いかに巧みに描けていても、絵に描いた餅は食べられないことから。
『三国志・魏書』に「選挙するに名有るを取ること莫れ。名は地に画きて餅を作るが如く、啖うべからざるなり(人を選び推挙する際には、世の中の評判に頼って選んではいけない。名声などというものは絵に描いた餅のようなもので、食べることはできず、役に立たないのだから)」とあるのに基づく。
3日前(7月10日)参院選が終わり自民が大勝した。候補者が掲げた公約が画餅に終わらぬよう注視する必要がある。 次回に続く。
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